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揺れ動く三人目のスポイラー(前編)


 私、姫海棠はたては、あまりに出不精では体に毒だと思い、まだ朝靄がかかる妖怪の山を飛び回ることにした。すると山の中腹にて、巡回中の知り合いを目撃した。
「椛じゃない。こんなところでどうしたのよ」
 山道を歩く椛の正面にバサリと降り立ってみた。椛が驚いて身構えるのが愉快だからだ。
「はたてこそどうしたんですか。外を出歩いているなんて珍しいですね」
「たまには光合成でもしておこうかなと」
「日光浴ですね」
 椛と会話するときはいつも、不思議な居心地の良さを感じた。心の波長が近いのかもしれない。
「そういえば、新聞づくりの調子はどうですか?」
 話題を振った椛の表情が少し強張ったような気がした。
「まあそれなり、って感じ。相変わらずあの『文々。新聞』には勝てないけれど」
 私が『文々。新聞』の名を口にした瞬間、椛の耳がピクリと動いた。
「はたて、その、新聞づくりのことなんですけれど……」
 椛が言いよどむ様子を、私は珍しいなと思いながら眺めた。けれども次の瞬間、椛は私にバチリと目を合わせてきた。
「私も協力しますから、一緒にその『文々。新聞』を倒しましょう」
 椛は私の方へ身を乗り出してきた。とても気迫溢れる振る舞いだった。急な申し出に私は言葉を失いかけたが、ある一点が気になったのでそれを問い詰めることにした。
「けれども椛、あんたって文とよくつるんでいるでしょう?
 もしかして文の差し金なんじゃないの?」
 すると、椛は大袈裟なほどにブンブンと首を振った。
「そんな、私は、その、勝ちたいだけです!」
 何やら歯切れの悪い返答だった。私はいよいよ文の影を疑った。だがそれでいいと思った。何の問題も無いと思った。むしろ望むところじゃない!
「で、あんたは何を手伝ってくれるの?」
 宥めるような声色で、不規則に尻尾を振る椛へ尋ねてみた。その途端、椛の表情が見違えるように輝き始めた。
「一緒に取材しますし、必要であれば記事もがんばって書きます!」
 自慢げな様子に、私はこう答えるしかなかった。
「それなら決まり、一緒にがんばりましょう!」
 椛は大きく頷いた。私はそれが可笑しくて、ひとしきり笑い転げた。

 椛の話によると、文は人里のカフェに自分の新聞を並べているらしい。したがって私たちの目標は、そこに『花果子念報』を対立させて人気を奪い取ることと定めた。
 とは言えまずは文の動向を探りたい。その時、
「向こうの様子を見てきましょうか?」
 と、まるで私の心を読み取ったかのように椛が提案した。
 私は快く椛を送り出した。飛んでいく椛の白く頼もしい後姿を見て、ああ今回は本当に勝てるかもしれないと思わずにはいられなかった。


 うまく切り出して射命丸の下へ向かうことができたので私はほっとした。はたてには少々の後ろめたさを感じるが、仕方がない。絶対に後悔はさせないから。
 約束の場所へ辿りつくと、射命丸が背の高い木の上から声を投げた。
「で、はたてはどんな感じだったの?」
「人里のカフェであなたの新聞に勝つと意気込んでいます」
「へえ」
 射命丸は軽やかに私の前へ降り立ち、私の顔を覗いてこう言った。
「じゃ、はたてがどんな記事を書くのか、ちゃんと私に報告するのよ」
 私はただ頷くだけだった。


 少しして椛が帰ってきた。先ほどとは打って変わって、なんだか妙に落ち着いた様子だった。
「ね、文はどんな感じだった?」
 椛は難しそうな表情を見せた。
「うーん、のんびりしているみたいでした」
 つまり油断していると。ウサギとカメね。
「それなら先手を取らないと。取材に行くわよ!」
 私は椛の手を引っ張り、澄み渡る青空へと舞い上がった。

「何を取材すればいいのかしら」
 無計画だった。無意識に飛行の速度が遅くなる。そうしていると、左横から椛がぬっと顔を出した。
「おもしろいところがありますよ」

 椛に連れられた先は、夏も終わったというのに一面びっしりと向日葵が広がる平地だった。確かここには危険で強大な妖怪がいるんだっけ。それなのに、あろうことか、色とりどりの妖精たちが楽しげに飛び回っていた。
「椛、これ……」
 私には、妖精入り乱れるこの光景が異変の前触れにしか思えなかった。けれども椛は至って平然としていた。
 ぼんやりしていても仕方がないので、とりあえず妖精の誰かに話を聞くことにした。青い服装の妖精が目についたので、その子に近寄った。
「あの、訊きたいことがあるんだけど」
 その妖精は、遊びを邪魔されたからなのか、ムッとした顔を私に向けた。
「あなたはここで何をしているの?」
「遊んでいるんだよ」
「何して遊んでいるの?」
 妖精は首を傾げた。少しの沈黙を置いて、妖精が小さく答えた。
「遊んでいるんだよ?」
 私がその言葉を理解しきれないうちに、妖精はふわふわと飛び去ってしまった。
 妖精の口からは碌な情報が得られないと思った私は、小高い丘に腰かけて妖精たちの動きを観察することにした。椛は「不思議でしょう?」と言いつつ、私の横に寝そべり空を見上げた。
 妖精たちが跳ね回る様子を無心で眺めた。そうしていると驚いたことに、妖精たちが何か法則性を持って動いているのではないかと思い始めた。
 あの赤い妖精は一輪の向日葵に近寄った。飛び立った。他の向日葵に近づいた。また飛んだ。また他の向日葵に――。
「あ!」
 私は地面を蹴ってその場に立ち上がった。隣にいた椛も、寝ぼけ眼を擦りながらのそのそと起き上がってきた。
「私わかったわ!」
 微睡んでいる椛の肩を激しく揺らした。椛の首はおもちゃみたいに揺れた。
「あの妖精たち、向日葵の花粉を媒介しているのよ!」
 これだけの向日葵を自然に賄えるとは思えない。だからこの向日葵の主は、何か不思議な力を使って妖精をおびき寄せている。これが私の推論だった。
「そうかなー。もしかしたらそうかもしれないですねー」
 椛はまだ眠気が覚めない様子だったが、たぶん私の考えに賛同している感じだった。

 ひと通りメモを取った後、私たちは山へと帰ってきた。さっそく記事を執筆するためだ。
 妖精が、自分でも知らず知らずのうちに花のお世話をしているなんて、みんなが知ったらどれだけ驚くだろう。私はみんなの反応を想像して、思わずいやらしい笑みを浮かべてしまった。
「あ、ちょっとだけ巡回に行ってきてもいいですか?」
「いいよー。その間に記事書いちゃうから」
 椛はそそくさと離れていった。


「何を取材したの?」
「太陽の畑で妖精を観察してきました」
「そう」
 次の瞬間、射命丸は激しく風を巻き上げ飛んでいった。私は、はたてが書く記事の中身について訊かなくていいのかなと疑問に思った。


 記事の構成に悩んでいるとき、椛がなんとも慌ただしい様子で帰ってきた。その勢いで、椛は息がかかるぐらいに顔を近づけてきた。
「まだ足りない! 記事をもう一つ増やしましょう!」
 突然の振る舞いに、椛の言葉を頭で消化しきれなかった。だから、有効な受け答えをする前に
「ちょっと落ち着こうよ」
と椛の背中を擦ることから始めた。

 椛の言い分はこうだった。
 文は私が一本の記事で勝負してくると思っている。だから、確実に勝つためにはもう一つ武器があるといい。
 私は感心することしきりだった。と同時に、よくもそこまで教えてくれたものだなと驚いた。椛は本当に文の回し者じゃないの?
「そうは言っても、記事の当てなんてさっぱりよ?」
 軽い調子で問いかけてみると、椛は真剣な眼差しでこたえてきた。
「はたて、あなたには念写の能力があるんですよね?」
 私は頷いた。
「なら大丈夫」
 椛の口調は淡々としていたが、なんだか力強かった。

 またも椛に先導してもらい、今度は博麗神社の近くに張り込むことになった。目の前には地底へ続く洞穴が黒い口を大きく開けていて、何者かを待ち構えているようだった。
「緑色のリボンを付けた大柄の少女が、今回の目標です」
 茂みに身を潜める私に向かって、右隣で同じく草に包まれている椛が囁いた。
「わかったわ。でも」
 一つだけ確認しておきたいことがあった。
「わざわざ隠れることは無いんじゃない?」
 椛の耳がピクリと動いた。そのすぐ後に、椛は正面を見据えたまま答えた。
「雰囲気作りです」

 暫く待っていると、ぽかんとした顔の少女が洞穴からにゅっと顔を出した。背が高くて、緑のリボンをつけている。間違いない。私と椛は目を合わせ、同時に飛びかかった。
 けれども気持ちが入り過ぎて、あまりに勢いよく向かっていったものだから少女はひどく驚き、黒くて大きな羽を激しく動かし飛び去ろうとした。このままだと逃げてしまう!
 私たちはその風圧で飛ばされそうになったが、なんとか踏ん張って思いきり叫んだ。
「ちょっと待って! お話が聞きたいの!」
 私たちに背を向けかけた少女が振り向いた。羽の動きが止まった。今しかない。私は全てを捨てる覚悟で少女にしがみついた。少女の顔を見上げた。少女は暴れる様子も無く、疑いの目で私のことを見降ろしていた。
「姉に抱きつく妹みたいですね」
 椛はすっかり落ち着いた様子で、横から私と少女を眺めてニヤついていた。うるさい。私には一世一代の大勝負がかかっているのよ。

 少女が過敏に警戒しないよう細心の注意を払いながら、とりあえず少女を付近の岩場に座らせた。辺りはよく肥えた木が生い茂っていて、昼下がりの木漏れ日が疎らに地面を照らしていた。
「で、どうしたらいいの?」
 こうなっては椛だけが頼りなんだから。
「ちょっとその携帯電話? を貸してもらえますか」
 椛が私の手元を見た。私にはいまいち事の次第が掴めなかったが疑問は横に置いて、カメラを椛の掌に添えた。椛は折り畳まれていたカメラを慎重に開けた。かと思うと、横流しするようにそれをリボンの少女へ手渡した。
「えっ!」
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。間髪入れず椛の顔を見る。椛は私の方を向き、ほんの少し頷くだけだった。一方リボンの少女は、私の大事な商売道具を両手に乗せ、不思議そうに見つめていた。
「うつほさん」
 椛がぽつりと、しかし重厚さを纏った一言を少女に投げかけた。
「あなたが核融合の力を手に入れたときのことを、思い浮かべてもらえますか」
 椛の目はまっすぐ少女の顔を見据えていた。雰囲気につられたのか、緩んでいた少女の顔も急に引き締まった。私もリボンの少女を見つめた。
 周囲は張りつめた沈黙に支配された。それがずっと続いた。ん?
「もしかして思い出せないの?」
 私は首を傾げて少女に問いかけた。少女はうん、と呟いた。私は椛に目線を遣った。
「これほんとに大丈夫?」
 椛は額に汗を浮かべていた。
 どうやら目の前の少女は驚くほど頭の働きがマイペースなようだ。けれども彼女が持っているのは私の霊力を帯びた携帯。ならきっかけさえ掴めれば。
「何でもいいから思い出せない?」
 少女にそう問いかけつつ、私は条件を絞り込む次の質問を必死に考えた。
「そうね、うーん、その場にどんな人がいたか、とかさ」
 この言葉に反応したのか、少女の目が斜め上に動いた。私は少女の顔を注視した。そのとき、少女は「あ」と小さな声を上げた。私はすかさずカメラの画面を覗いた。白地の画面には瞭然と『神様 二人』の文字が映し出されていた。
 次の瞬間、画面の配色が猛烈に入り乱れ始めた。念写の前兆だ。ふと顔を上げると、反対側から椛が一生懸命に画面を覗き込んでいた。滑稽なほどに必死な目つきだった。
 画面に目を戻すと、次第に一つの映像が浮かび上がってきた。暗い空間の中央で光が弾けていて、その光の奥でリボンの少女が目を丸くしている。新聞の表面を飾るのに、十分見栄えの良い写真だ。
「これ誰?」
 横にいるリボンの少女が画面を指差した。気分が高揚して仕方のない私は軽快に答えた。
「これはあんたなのよ?」
 私の言葉を聞いて、少女は画面を食い入るようにして見つめ始めた。私と椛はどちらからというわけでもなく目を合わせ、自然と笑みを零した。

 リボンの少女にお礼を言った後、私たちは今度こそ記事の執筆に取り掛かるため、山への帰路を急いだ。空の帰り道は、穏やかな風に乗った草花の涼しげな香りに包まれていた。
「あやややや、二人して仲よさげにどうしたんですか?」
 突如、軽くて鋭い口調が私の横腹に突き刺さった。全身で振り向くと、真顔の文が葉団扇片手に腕を組み漂っていた。
「あら文じゃない。あんたこそ、のんびりしていると時代に乗り遅れるわよ」
 文の威圧的な態度がちょっと怖かったけれど、私は不敵に笑って見せた。だが文は私の方を見ようともしなかった。
「椛」
 とても冷たい呼びかけだった。私も椛を見た。椛は、全身の毛を逆立ててぶるぶると震えていた。あからさまに怯えていた。ただならぬ様子を目の当たりにして、私は全身から血の気が引くのを感じた。
 椛はパチパチパチと瞬いてから、私の方を向いた。
「はたて、先に帰っておいてもらえますか?」
「どうしてよ!」
 何が何だかわからないけれど、こんな椛を置いておくわけにはいかない。そんな私の気持ちを察したのか、椛はぎこちない笑みを浮かべた。
「ぜったい大丈夫だから」
 そんなこと言われても。私が返答に窮していると、椛は私にそっと顔を寄せた。
「また後で」
 耳元でそう囁き、私の背中を押した。私は二人をもう一度見てから、きっと文なら大丈夫だろうと念じ、後ろ髪をひかれる思いを振り切って妖怪の山へ戻った。


 私は、はたての姿が点になるまで見届け続けた。さらにこの機を生かし、昂る鼓動を落ち着かせようと深呼吸に努めた。
 それから、意を決して射命丸の顔を見た。射命丸は私が振り向くや否や、すうっと距離を詰めてきた。
「どういうつもりかしら」
 射命丸がずいと顔を近づけるので、私は少し肩を震わせてしまった。射命丸は、無断で勝手に取材量を増やしたことを問い詰めたいのだろう。
 けれども私の心はもう決まっている。
 私は邪念を振り払うように首を振った。それから、迷い無く深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
 これは裏切りへの謝罪。そして、
「あなたに宣戦布告します」
 これは私の意思表示だ。私は射命丸の反応を待たず、逃げるようにその場を後にした。


 住処に到着したものの、私は意味も無く辺りをウロウロしながら忙しなく首を動かしていた。空はうっすらとした黄色に染まりつつあった。
 そのとき、背中をふわりと押されて私は数歩ほどよろけた。振り返ると、眩しい笑みを浮かべた椛が銀色の尻尾をはためかせていた。私は肩の力が一気に抜けて、その場に倒れそうになったのを何とか堪えた。
「もう大丈夫なの?」
 見りゃわかるでしょうと思いながらも、問いかけずにはいられなかった。
 椛はきりりとした表情を作り、私の目をすっと見据えた。そして、静寂の中、両手で大きな丸を作ってみせた。その姿は古ぼけた彫像みたいで、私は腹の底から笑った。椛もバカみたいに笑った。

  つづく


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