続、うつほと温泉卵
※『うつほと温泉卵』の続編ですが、内容はほぼ独立しています。 -------- 昼下がりの地底、休憩中のうつほが台所をそっと覗くと、さとり様がエプロンつけて何やら煮込んでいた。その場で当然のように匂いを嗅ぐ。ほんのりとあたたかい香り、温泉卵だ。 うつほは扉の陰に居たまま、溢れ出る涎を抑えきれなくなった。思わずジュルリと音を立ててしまう。さとり様が振り向いた。 「もうちょっとだから待っていてね」 うつほの頭の中ではあの丸みを帯びた柔らかい卵たちが、ポンポンポンと花を咲かせていた。 卵への思いが募って仕方がないうつほは、一度台所を離れた。けれども温泉卵を切望する気持ちはどうにも収まらない。それも一つではなく、何個も、何個も、もうダメになってしまうぐらいに。 よし。今度こそ、自らの知恵を総動員して望むだけ手に入れてやろう。 そんな中、うつほはある言葉を思い出した。敵を欺くにはまず味方から。 いかにも慌ただしい様子でうつほが台所へ入ってきた。食器が音を立てて揺れ、桃色のエプロンに身を包んださとり様が何事かと寄ってくる。 「さっさとり様! 地上でお腹を空かせている人がいます!」 うつほの声がやたらと響いた。直後の静寂の中、さとり様は眉をひそめた。独立した紅の目がじっとうつほを見つめる。うつほは念じた。あの人がお腹を空かせているんだ。本当なんだ。 少しの間ののち、さとり様が目を見開いた。 「えっ事実なのですか!」 さとり様は急いで温泉卵を仕上げ、それを手提げの茶色い編み籠に入れ、全部うつほに渡してしまった。うつほは、籠を受け取るや否や地霊殿を出ていった。 うつほは弾丸と見紛う勢いで地上に飛び出した。空は澄み渡る秋晴れだった。 うつほはその推進力を保ったまま天空まで飛び上がると、結界をひょいと超えて冥界へと乗り込んだ。幽霊が屯(たむろ)するそこは、地上より少しひんやりした空気に支配され、若干の紅葉が色づき始めていた。 うつほは翼を大きく広げて白玉楼に降り立った。俄かに周囲の幽霊たちがざわつき出す。緑の少女がびっくりして駆け寄ってきた。 「お腹が空いた人を助けに来ました!」 緑の少女が剣を構えるよりも早く、うつほは編み籠を差し出した。緑の少女は中身を見て、再度うつほの顔を見た。緑の少女は逡巡する素振りを見せた後、「ではせっかくですから頂きます」と向き直って受け取った。うつほはにっこりと笑うと、もと来た道をなぞるように帰っていった。後方では水色の少女も顔を出し、笑顔で手を振っていた。 地霊殿への帰路、地上からの光が届かなくなった辺りでうつほは立ち止まった。それから首を傾げて天井の岩肌を眺め、少しばかり目線を左右に振って――。 うつほの思考が繋がった。うつほは愕然とした。何をみすみす温泉卵を渡しているのか。いや、あのときは事情すらわかっていなかった。うつほは頭を抱えて屈み込んだ。 けれどもすぐに、うつほはゆっくりと立ち上がった。そして、地霊殿への道を、一歩ずつ歩み始めた。 薄暗い庭園を歩くさとり様を見つけ、うつほは後ろから忍び足で近づいた。そして、もう少しで手が届きそうな距離まで詰め寄って、果敢に飛びついた。 「さとり様おやつ!」 さとり様は右へ一歩踏み込んだ。うつほの両手は空を切り、そのまま豪快に砂の上を滑っていった。 砂埃が舞う中、さとり様がうつほの正面に接近して屈み込み、か細い指でうつほの頬をツンツンしながら言いつけた。 「おやつは人助けに使ったのでしょう?」 「うにゅにゅ」 「何がうにゅにゅよ」 おわり 『ネコとオンドリ』より