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うつほと温泉卵


 うつほは温泉卵がほしくなった。河童に贈り物を頂いてからというものの、もうすっかり虜である。丸くてコロンとした、もっちりつやつやのあれがほしい。
 さっそくさとり様にお願いしようと思ったが、なんと残念今日のおやつはもう食べた。仕方がない、知恵を絞って貰ってやろう。

「ねえねえさとり様。今日のおやつまだ?」
 紅と黒の部屋、紅のソファに深々と座るさとり様。その後ろ髪の辺りにそっと声をかけた。
「さっきもう食べたでしょ」
 さとり様は振り向きもしない。軽くいなされる。
「お友達に食べられ……、食べられかけるところだったの」
「そう」
 嘘をつきそうになってうつほはハッとした。ご主人様は自分の嘘など全てお見通しだ。なにより、さとり様は嘘が大嫌いである。
 左の横から、恐る恐るさとり様の顔を覗き込む。3つの目は全て、さとり様がちょこんと手に持つ本に向けられていた。
 とにかく発想を変えよう。……少しの間をとって、慎重に言葉を紡いでいく。
「えーと、そう! なんだか成長期の気分だから、今までの量じゃ足りないかなって」
「ならご飯をいっぱい食べなさいな」
「あ、そうそう! 今日はいっぱい燃やしたよ! がんばったよ!」
 何がきっかけだったのだろう。本をめくろうとしたさとり様の動きが止まった。
 開いたままの本を傍らに置き、すっと立ち上がり、やっとこちらを振り向いたかと思うと、かすかな足音を響かせて迫ってきた。
 目の前まで詰めてきたさとり様はぴたと止まり、うつほの目を見つめて、
「その場にしゃがんで」
 なんてお願いしてきた。
 不可解さに頭の中身が霧散しそうなところを踏みとどまったうつほは、言われたとおり、その場に膝をついた。さとり様の脚を眺めながら、頭に温泉卵を載せてくれるのかな、と期待せずにはいられなかった。
 ふとさとり様の顔を見上げる。雪の膜に包まれた枝のような右手がすっと伸びていた。
「よくがんばったのね。えらいわ」
 不意に頭を撫でられて、思わずきゅっと目をつぶった。サラサラと心地の良い音が頭に届く。

「それじゃあ、また明日もがんばりましょうね」
 ひとしきり頭を撫でられ尽くした後。静かな微笑みを携えてさとり様がそう告げた。うつほの心は甘い水で満たされ、ゆらゆらと揺らめいていた。
 緩んだ笑顔のままうつほは立ち上がり、ゆったりとした足取りで出口へと向かった。ドアノブに手をかけた。ひんやりと冷たかった。
「あ」
 その瞬間、頭の中に温泉卵が咲き乱れた。あの魅惑のまあるい形が、花火のように脳内に打ち上げられる。
 うつほはもう我慢ならなかった。この際なりふり構っていられない。
「さとり様! 私が何も口にできないまま帰ると思ったの? 温泉卵ちょうだい!」
 そう言うや否やさとり様に飛びかかる。知っている、さとり様は左のポケットにおやつを隠し持っているのだ。
 砲弾のようにきれいな放物線を描いたうつほの身体はさとり様がいたはずのところに一直線。そのまま紅いカーペットの上を滑っていった。
 ソファの前で伸びているうつほ。めがけてさとり様が一言。
「おやつは1日1つまで。大事なお約束でしょう?」
「うにゅにゅ」
「何がうにゅにゅよ」

  おわり


『オオカミと仔ヒツジ』より