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その感傷、繋ぎ合わせて


 すっかり寒くなった空気を肌で感じながら、ミスティアは薄明かりの森を当てもなく彷徨っていた。
 濃い色の土を見ながら歩いた。寒気の訪れとともに、自然の奥地にあるミスティアの屋台も客足が遠のいてしまっていた。ぽっかり風通しのよくなった心を胸の内に携えながら、一歩一歩確かめるように地面を踏みしめた。
 暫く歩いていると、円形に拓けた場所を前方に見つけた。その脇にある丁度いい切り株に腰かけたミスティアは、周囲の草花に向かってでたらめに唄い始めた。
「ぶんぶんぶん 森の中 夜雀さーんだよー」
 ミスティアの歌声はただただ木々に反響するばかりだったが、それでも夢中になって歌い続けた。
 するとそこへ、青い帽子に中国風の仰々しい青装束を身に着けた長身の少女が、ミスティア目掛けて一直線に歩いて来た。
「唄うのはお止めなさい」
 ミスティアはピタリと口を閉じて少女を見上げた。
「どうしてこんなところで唄うのです。
 あなたの歌声は揺らぎを齎(もたら)します。草木の困惑が判りますか?」
 少女は辺りをぐるりと指差した。
「そうは言ってもさ、唄いたいんだからしょうがないよね」
「なら」
 少女の指先が真上を向いた。
「空中から天に向かって唄いなさい。それが貴方にとっての善行でしょう」
 首を傾げるミスティアをよそに、言いたいだけ言った少女はすたすたとその場を去っていった。どうしたものかと思案するミスティアであったが、仕方がないと羽を広げ、地面を蹴って飛び上がった。


 妖怪の山の一角に足を踏み入れた静葉は、わざわざ散歩をしようと思い立った自分を深く悔やんだ。目線の先には、堆(うずたか)く積もった落ち葉が鎮座していた。紅葉の神様だから、放置された落ち葉を見逃すわけにはいかない。かといって、両手を広げてもなお届かないほどの幅を持つ落ち葉をどうやって処理すればいいのか。
 落ち葉の周りをぐるぐる歩いてあれこれ悩んでいると、上空から黒い翼を広げた少女がふわりと舞い降りてきた。
「これ全部貴方が集めたんですか?」
「そんなわけないでしょ」
 少女はメモ帖を片手に静葉の顔を覗き込んだ。静葉は露骨に目を逸らそうとしたが、少女が左手に握っている、紅葉みたいな形の大きな団扇に目を留めた。
「確かそれって、振ると風を起こせるんだっけ」
「ええそうですけれど」
 少女は葉団扇を持ち上げて静葉に見せた。静葉は口元を歪ませた。
「せっかくだから、この落ち葉全部飛ばしちゃってよ」


 チルノは拾った小銭を片手に山の神社へやって来た。灰色の鳥居を潜って、年季は入っているがよく磨かれている賽銭箱の前に立ち、左手の小銭をその上へ差し出し、指を離した。箱の底でゴトリと音がした。その響きを聞くとチルノは心が軽くなるのであった。なぜなら――。
 チルノは早々に境内を後にして、近くにある青々とした湖へ向かった。辺りは、赤や黄の葉を少しだけ残した木が寒そうに並んでいた。
 チルノは土手に座り込み、手で土を掘り返した。すると、緑色の丸い何かが顔を出した。
「こんにちは、カエルさん」
 チルノは不敵な笑みを浮かべて、クリームみたいな色づきのカエルを左の掌に乗せた。
 今日もちゃんとお賽銭を渡した。だからちょっとぐらい凍らせてもいいよね。
 チルノは日課の贖罪を自分に言い聞かせ、掌のカエルに右手を構えた。
「こらチルノ!」
 そのとき、背後から軽快な怒声が浴びせられた。チルノは鋭い羽をビクリと震わせて湖の方を振り返った。麦色の円筒を被った小さな少女が、腕を組んで水面に立っていた。
「カエルで遊びたいなら、まず私を凍らせてみな!」
 少女はそう言うや否や、両手を広げて水面を爪先で蹴り、湖の真上へ飛んだ。チルノは唖然としたが、少女が「ほらほらどうした」と挑発するので、ムキになって氷の粒をばら撒き始めた。少女はホイホイと軽やかな身のこなしでそれを避けていく。目標を失った氷たちは空中へ拡散していった。


 ミスティアは森が一望できるほどの高さまで上昇した。地上より一層鋭い寒気に鳥肌を立たせながらも、言われたとおりに天を仰ぎ、腹の底から歌声を奏で始めた。
 青空に浮かぶ白い雲は、ミスティアの唄などどこ吹く風といった態度で穏やかに流れていった。ミスティアは“残念だな”と心の中で呟いたが、も少しと思って独唱を続けた。
 そのとき、ミスティアの視界を大量の落ち葉や氷が横切った。ミスティアは目を丸くしたが、同時に横殴りの風がミスティアに襲いかかったので驚く余裕も奪われた。
 荒れ狂う紅葉や鋭い粒にミスティアは飛んでいるだけで精一杯だったが、これこそが歌姫に課せられた試練なのねと勝手に盛り上がり、上機嫌で再び唄い始めた。すると、飛んでいくばかりだった紅葉や氷の粒はその勢いを止め、不規則な動きで左右に揺れ始めた。ミスティアの目には、紅葉たちが自分の唄に合わせて踊っているように映った。ミスティアは赤や黄や白に囲まれながら、体を揺らして楽しげな唄を響かせた。いつの間にか、猛烈に吹きすさんでいた風は霧散していた。


 上白沢慧音は長時間の授業で疲れ切った体を、気分転換にと外へ引き摺り出した。晩秋に色褪せた人里で通行人が寒気に身を縮める中を、慧音はただぶらぶらと歩いた。
 ふと、手の甲に冷たい感触が伝わった。何事かと空を見上げると、青空を背景に紅葉と雪が一緒くたになって舞い降りてきた。
「どうした。季節の変わり目が待ちきれなかったのか?」
 慧音は少し顔を綻ばせて、さっきよりも軽い足取りで寺子屋への帰路を辿った。

  おわり


『農夫と息子たち』より