アンコーハウス - 東方伊曽保物語 -

泥棒の改心


 森の中まで逃げおおせた魔理沙は、空いた手で襟元をぱたぱたと扇いだ。右手には分厚い本がザル蕎麦のように積み重なっている。烈しい日差しも木々の陰で和らいで、辺りには清涼なそよ風が漂う。魔理沙は跨っていた箒を左手に抱え、のんびりと森を歩き始めた。
「あら魔理沙」
 不意に横から品の良い声が響き、魔理沙は肩を縦に揺らして振り向いた。金髪を風鈴のように揺らす長身の少女が、洋装の人形を肩に乗せて佇んでいる。冷ややかな視線は、確かに魔理沙の本を捉えていた。
「ああアリス。暑いから出歩くのは危ないぜ」
「その本は何かしら」
 アリスは魔理沙にひたひたと歩み寄り、本の表紙を覗き込もうとする。魔理沙は知り合いの魔法使いから、承諾も得ずに本を借りてきた。そしてアリスはこの本の持ち主と仲が良い。魔理沙は決意を固めた。
「実はな、この本はパチュリーから借りてきたんだ」
「また?」
「ああ」
 魔理沙は意識して声の調子を落とす。
「こうしてアリスに迫られて判ったよ。私はなんて悪いことをしてしまったんだろう」
「魔理沙」
 アリスは意外そうな表情で魔理沙を見る。魔理沙は心の中で力強く頷いた。
「アリス。どうにも罪悪感に苛まれて落ち着かないんだ。どうか、お前の魔力で力いっぱい叩いてくれないか。この穢れた私を」
「はあ?」
「頼む! 今でないと、もう後戻りできない気がするんだ」
 魔理沙は腰を折って深々と頭を下げる。
「判ったわよ、判ったからそんなみっともないことをしないで。貴方を叩いてあげればいいのね?」
「ああ、私の性根を叩き直してくれ」
 左手に箒、右手には幾重にも聳(そび)える本を抱えた状態で魔理沙は直立した。アリスは人形を両手に抱いて、目を閉じて深い呼吸を始めた。人形の中心に、球のような青白い光がぼんやりと浮かぶ。それを見た魔理沙は素早く箒に跨り、目にも留まらぬ速さで飛び上がった。
「ご苦労だなアリス! 魔法でも何でも速さが大事だぜ」
 アリスが髪を振り乱して見上げた時、既に魔理沙は木々の間を越えようとしていた。
「じゃあな、そこで魔法の練習でもしておいてくれ」
 魔理沙は箒から手を離し、帽子を取って余裕たっぷりに振り回してみせる。
「ええ、さようなら魔理沙」
 その時、アリスの人形はまばゆいほどの光を放っていた。アリスは槍投げの体勢で人形をぶん投げる。人形は青白い尾を引いて、去り行く魔理沙へ一直線に飛んでいく。そして黒装束の背中に接触して、一筋の光が閃いた直後、轟音を立てて盛大に爆発した。

  おわり


『ロバとオオカミ』より