アンコーハウス - 東方伊曽保物語 -

どんぐりの突出


 飛び抜けて強い力を持つ一匹の妖精がいた。氷や冷気を操るその妖精は、周りからチルドと呼ばれた。けれどもその妖精は少し頭が足りなかったので、自らをチルノと名乗った。周りの妖精を弾幕で圧倒しているうちに、チルノはもはや妖怪のようだと囃し立てられた。チルノは初め、それを殆ど意に介さなかった。けれども繰り返し言われるうちに、いつしか、自分は本当に妖怪ではないかと思い込むようになった。ある日、チルノは思い立って、住み処の湖を飛び出した。
 雲一つない晴天から、容赦のない日差しが降り注ぐ。少しでも暑さから逃れたいと思ったチルノは、目についた洞穴へまっしぐらに入っていった。中は思っていたよりも広く、底が見通せないほど深く続いている。妖怪の臭いはするが、他者の姿はどこにも見当たらない。チルノは辺りを見回しながら、岩壁を伝って慎重に下り坂を辿っていった。
「どこへ行くつもり?」
 いつしか垂直に近くなった急坂を羽ばたきながら下りていると、突如として向こうの暗がりから色白の少女が顔を出した。
「あ、仲間発見!」
「仲間? 妖精の癖に」
 古着のような出で立ちの少女は、露骨に顔を顰(しか)めた。麦藁色の短髪からは尖った耳が覗いていて、首と腰に白い布を巻いている。
「あたいも妖怪なんだよ。試してみる?」
 少女は素っ気なさそうに首を振った。
「妖精にしてはやたらと自信があるようね。けれど、私から見れば貴方も他の妖精と何ら変わりないわ」
「なんでさ!」
 チルノは今にも掴み掛からん勢いで少女に飛びかかった。そうして手が届きそうな距離まで迫った瞬間、少女は銀色に輝く何かをチルノに投げつけた。チルノは驚いて動きをピタリと止める。チルノの頭の大きな青いリボンに、一本の釘が深々と突き刺さった。
「帰りなさい。ここは貴方の来るところではないわ。自由な身でありながら妖怪なんかに憧れるなんて……、ああ妬ましい」
 チルノは全身の力が抜けて、少女の膝元にへなへなと座り込んだ。頭の釘が、活力を根こそぎ吸い取っているかのように感じられた。チルノは、力の入らない腕をぶるぶる震わせながらやっとのことで釘を引き抜くと、触角を抜かれた蝶のようによろめいて地上へ戻っていった。

  おわり


『オオカミとキツネ』より