ヤマメの間借り
いつ見ても変わり映えの無い茶色の無機質な岩肌に、ヤマメはいい加減飽き飽きしていた。そうして手早く蜘蛛の巣を畳み、暗い地底の奥深くへと飛び込んでいった。 鬼たちで賑う旧都を飛び越え、でかでかと鎮座する屋敷に降り立った。屋敷の周りは灰色の塀で覆われていたので、ヤマメは気づかれないようにそっと壁際に近づき、カサカサと塀を登っていった。その先には整然と十字に敷かれた石畳があり、脇には芝生が青々と茂っていた。ヤマメは建物の側面へ近づき、腹から糸を滑らかに射出してそこに白い巣を張った。 地霊殿、その脇での生活は実に快適だった。青白い火の玉みたいな怨霊がちょっかいを掛けてくる以外は目立った外敵も無く、お腹が空いて困った時にはその怨霊を食べれば済んだ。 ヤマメは蜘蛛の巣をハンモックみたいにして空中を見上げた。見果てぬほど遠くに岩の天井が微かに見えるぐらい、広々とした空間だった。 ある時ヤマメが用事を終えて地霊殿の裏手に戻ると、巣が跡形も無く消えていた。慌てて周囲を見回すと壁際に、緑のリボンを付けた大柄の少女がこちらに背を向けて屈み込んでいた。 ヤマメは即座にその少女に近づいて顔を覗き込んだ。少女は白い塊を両手で抱え、一心不乱にそれを貪っていた。 「それ私の巣なんだけど」 「え、綿あめじゃないの?」 少女はぽかんとした表情でヤマメを見た。話にならないと思ったヤマメはさっさとその場を離れた。 ヤマメは巨大な正面扉を荒々しく叩き、応対が来るよりも先に扉を開けた。ヤマメは初めて地霊殿の中へ足を踏み入れた。 玄関先の正面は幅広の階段が伸びる広々としたエントランスになっていて、左右に出ると天井が馬鹿みたいに高い廊下がどこまでも続いていた。ヤマメは行き先の見当を全く付けていなかったので、気の向くままに右側の廊下を進んだ。ステンドグラスの窓からは七色の光が漏れていて、床に敷き詰められた赤黒のタイルに彩りを添えていた。あらゆるものが溶けてしまいそうな光にヤマメは目を奪われ、心を燃やしていた怒りはすっかり消えてしまった。 暫く進んでいると前方に人影を見つけた。その人は半熟の葡萄みたいな色の短い髪をふわりとさせて、水色の幼稚なシャツに桃色のスカートを纏っていた。ヤマメはちょいちょいと近寄って声を掛けた。 「貴方がここの主でしょ?」 少女はいかにも面倒そうにこちらを向いたが、ヤマメは構わず言葉を続けた。 「ここではどんな動物でも平和に暮らせるって聞いたんだけど、私の巣が食べられちゃったんだ。これはどういうことだい?」 少女は胸の辺りに携える赤い瞳をぎょろぎょろとさせていたがその動きを止めて、息混じりの声を洩らした。 「居るだけで平和に暮らせるなんて言っていません。そもそも貴方はペットじゃない」 正対する少女の目はもはやヤマメを捉えていなかった。 おわり 『ツバメとヘビと裁判所』より