奔走
鬱蒼と生い茂る森の中、僅かに漏れる日光を頼りに魔理沙はキノコを探していた。だが、行けども行けども目当てのキノコは姿を現さない。こりゃ今日はダメだなと早々に撤収しようとしたそのとき、木々の奥に金髪の小さな少女が倒れているのを発見した。闇のような黒い上下を纏っていて、短めの髪の毛は地面にべたりと垂れていた。 「おい、ルーミア?」 魔理沙は少女ルーミアに駆け寄って背中を揺らした。ルーミアはぼんやりと薄目を開けた。どう見ても衰弱しきっていると判断した魔理沙は、その小さな体を両腕に抱え、家へ連れて行くことにした。 魔理沙の家は、本や雑多なもので足の踏み場も無いほど散らかっていた。魔理沙はそれを蹴散らして道を作り、何とか奥にある寝台まで辿りつくことができた。 ルーミアをその上に寝かせ、革靴を履いたままの足元に薄い毛布を被せてあげた。ルーミアは時々苦悶の表情を浮かべるばかりだった。 「まだ大丈夫か?」 このままでは埒が明かないと思った魔理沙はルーミアに調子を尋ねた。ルーミアは微かに頷いた。 「よし。じゃあちょっとだけ待っていてくれ」 魔理沙はルーミアの頭をポンポンと叩いてから、立て掛けてあった箒を手に取り部屋を後にした。 「何の用ですか?」 「通してくれ」 「わかりました」 魔理沙は立ち込める霧を手で払いつつ、湖の畔に建つ紅の館へ乗り込んだ。他の住人には目もくれず、速やかに階段を下りて地下の図書館へ向かった。ルーミアの容体について何か手がかりを得ようと思ったからだ。 「おーい、誰かいるかー?」 魔理沙は広大な図書館に大声で呼びかけ、反応を待たずに本棚を物色し始めた。 「ちょっと何勝手に入っているのよ」 一段高いところへと手を伸ばそうとした瞬間、背後から冷ややかな声が浴びせられた。伸ばした手はそのままに顔を向けると、桜色の帽子とネグリジェを纏う少女が、心なしか鋭い目つきで魔理沙を捉えていた。 「大丈夫、本を借りに来ただけだ」 「何が大丈夫なのよ」 少女の声色は軽いものだったが、その体が薄っすらと魔力を帯び始めていることに魔理沙は気づいた。 「ちょっと借りるだけだから」 「信用ならないわ」 「緊急の用事なんだ」 「今まで何度そう言ったのよ!」 突然、桜色の少女は赤い魔力の弾を放ってきた。魔理沙は咄嗟の反射で右に避けたが、間髪入れずに追撃が浴びせられた。本棚の間の通路ではどうにも対処しきれない。魔理沙は素早く箒に跨り、地面を蹴って天井近くまで飛び上がった。 「今日は帰ってもらえるかしら」 紅の床に映える桜色の少女が、肩で息をしながら空中の魔理沙を見上げた。 「なんてざまだ」 魔理沙は天井に向かってそう呟き、帽子を整えてその場を後にした。 家に戻った魔理沙は横になっているルーミアを抱え、その足で再び家を飛び出した。手元でルーミアが苦しそうに息をしているのを見て、魔理沙は一層速力を上げた。 まどろっこしい手段はもう止めだと魔理沙は考えた。それで、黄緑色に群生する竹林に勢いよく突っ込んだ。手や足に竹の葉が当たってその度にチクリと痛んだが、魔理沙は構わず竹の隙間を駆け抜けた。そうして目的の邸宅に辿りついた。魔理沙は自分が通った部分にぽっかりと円い空間が空いているのを見て、やはり力技なのだと確信した。魔理沙は再び正面を向き、ルーミアを抱えている手の先で玄関の戸を引いた。 今すぐにでも走りたい気持ちをぐっと抑えて廊下を進み、医務室の戸を叩き中へ入った。涼しげな刺激臭が鼻を突いた。 「永琳、こいつを見てくれないか」 椅子に腰かけていた永琳が返事するよりも先に、魔理沙は手前の寝台にルーミアを寝かせた。 「どういう経緯かしら」 「何があったかは分からないが、森の中で倒れていた」 永琳はゆらりと立ち上がってルーミアに近づいてから、てきぱきと診察を始めた。腕を持ち上げられたり、鉄製の聴診器を胸に当てられたりするルーミアを、魔理沙はじっと立ったまま見守った。暫くして、永琳は診察の手を止めて魔理沙に向き直った。 「何も異常はないわ」 「え?」 予想外のことで、魔理沙は返す言葉を見失ってしまった。魔理沙はもう一度ルーミアを見た。 「や、そんな、だってこんなに苦しそうにしているのに?」 「そう言われても、この子の体には病状の特異点が見当たらないわ」 永琳は腕を抱えてルーミアを見下ろしていた。魔理沙は壁の棚に並べられた得体の知れない薬品たちを眺めてから、静かな声で永琳に問いかけた。 「手がかりはないのか?」 永琳はルーミアの髪を触りながら、独り言のように呟いた。 「この子は空っぽな妖怪だから」 その言葉が魔理沙の頭に引っかかった。ルーミアに目を遣った。このとき魔理沙は初めて、ルーミアの頭の左側に赤いリボンが結ばれていることに気づいた。そのリボンは少し汚れていた。魔理沙はとても嫌な予感に青ざめ、慌ててルーミアを抱き上げた。それから、魔理沙たちを見つめる永琳に「ありがとう」と伝え、指先で箒を掴み、早足で部屋を出た。 邸宅を出た魔理沙はすぐに箒に跨り、晴れ晴れとした竹林の上空へ飛び上がった。続いて小高い山の赤い鳥居を目標に定め、そこへ向かって一直線に飛んでいった。 とにかく一刻でも早く神社に行かなければならないと焦っていた。だから、境内で掃除をする巫女が進行方向上にいると気づいたときにはもう、魔理沙の勢いは全く止められなくなっていた。だが巫女はいち早く魔理沙の突入に振り向いた。そうして、魔理沙が激突しそうになる直前、巫女は赤く光る結界を正面に展開した。魔理沙は咄嗟の判断で、ルーミアがぶつからないよう深く抱え込んだ。そして、鈍い音を立てて盛大に激突した。 「なんて慈悲の無い奴なんだ、霊夢」 魔理沙はルーミアを降ろして肩や手を擦った。 「あんたに言われたくない、わ……」 霊夢の声が何やら消えかかったので、魔理沙は顔を上げて霊夢を確かめた。霊夢の目は、魔理沙の傍らに寝かされたルーミアに釘付けになっていた。 「ちょっと、あんたこの子に何させたのよ!」 霊夢は激しい剣幕で魔理沙の両肩を掴みかかった。 「いや、私は何も」 「すぐに鎮めるわ! 魔理沙、台所から食べ物と酒を持ってきなさい」 霊夢の指示に魔理沙の頭は疑問で満たされたが、霊夢に急き立てられて訳も分からず台所へ向かった。 魔理沙は台所にあったありったけの酒を運び、おいしそうな甘味を手当たり次第に持ってきた。 「こんなにいらないわよ」 「しょうがないだろ」 小言を挟む霊夢の目つきは真剣そのもので、霊夢の手によってお盆の上にお菓子と盃(さかずき)が並べられた。 「あんたはあれを叩いてちょうだい」 霊夢が左手で指差した先を見ると、いつの間にやら、ルーミアの斜め手前に薄汚れた和太鼓が平台に備えられていた。魔理沙はもはや何のことやらと頭がこんがらがったが、促されるまま太鼓の前で正座し、木の撥(ばち)の一対を両手に握った。再び霊夢の方を見ると、ギザギザの白い紙が付いた小さな棒を右手に握っていた。 「適当に叩いてくれればいいわ。私が止めると言うまで」 霊夢は正面を見据えたまま魔理沙にそう言った。魔理沙は霊夢の斜め横顔に向かって頷き、茶色い汚れのついた皮面を見つめて、左手の撥でポンとそれを弾いた。 魔理沙はごく軽い力を以て、眠たくなるほど淡々とした拍子で太鼓を叩き続けた。余裕が出てきたので前方に目を遣ると、霊夢は、柔らかい動きでくるくると回転して、また止まってを繰り返していた。手に持つギザギザを緩やかに振りながら、紅白の装束をふわりと浮かべるさまを見て、ああこいつも巫女なんだと感心することしきりであった。 暫くそれを続けていると、ルーミアの表情筋が少し緩んだことに気づいた。それを霊夢も見逃さなかったのだろう。 「止めて!」 と魔理沙を静止するや否や、ルーミアに駆け寄って頭のリボンに手を付けた。霊夢はリボンを外してから、慣れた手つきで新しいリボン、すなわち御札を括り付けた。新品の御札はルーミアの金髪に映えた。 霊夢がもう大丈夫だというので、魔理沙はルーミアを連れて夕日に照らされる階段を降りていった。 「もう平気か?」 傍らで手を繋ぐルーミアに問いかけた。ルーミアはささやかに頷いた。 広々と続く平地を眺めた。遠くの方に見える湖に建つ紅い館が目に留まった。その館とルーミアを見比べつつ、安易に“借りる”を連発した痛みを心の底でしみじみと感じた。 翌日、魔理沙は朝早くから紅魔館を訪れた。左手では一冊の本を握りしめていた。 「これは返す」 魔理沙は地下の図書館でパチュリーを呼び、照れくさそうに本を差し出した。パチュリーは面食らった様子で受け取ったその本を見つめた。 「で、ここからが本題なんだが」 魔理沙は改まってパチュリーの目を見据えた。 「ちょっと借りていくぜ。大した用事じゃないから」 おわり 『ヒツジ飼の少年とオオカミ』より