アンコーハウス - 東方伊曽保物語まとめサイト -

従者とその保護者たち


 紅い館の暗い図書館、小悪魔はいつものように本の整理に勤しんでいた。
 棚の高いところへ手を伸ばそうとしたそのとき、不意に右肩を叩かれた。
「わっ!」
 小悪魔は全身を震わせて飛び退き、抱えていた本が鳥のように飛び立った。その先では、青と白の鮮やかな対比を身に纏うメイドが小悪魔を見つめていた。
「これ、パチュリー様に渡しておいてもらえるかしら」
 メイドはそれだけ言ってくすんだ白色の封筒を差し出した。小悪魔はそれを両手で受け取り、そっと裏表を確かめた。宛名は書かれていなかった。正面に目を戻すと、メイドはいつの間にか姿を消していた。

 小悪魔はパチュリーが戻るのを待った。そうして、帰ってきたパチュリーが長机に腰掛けるのを見計らって、紅茶と共に封筒を置いた。パチュリーは紅茶を一口含んでから、封筒の端を静かに破った。中に入っていた二枚組の紙がするりと紅い床へ落ちた。パチュリーは自らそれを拾い上げ、「ふうん」「へえ」と言いながらしげしげと眺めた。その間、小悪魔は机を挟んだ向かい側でじっと侍っていた。
 一通り読み終えたのか、パチュリーが徐(おもむろ)に小悪魔を見た。
「貴方、挑戦する?」
 パチュリーは手紙の一枚を掲げて小悪魔に見せた。蝋燭の揺らめきに照らされる紙面を、小悪魔は机に手をついて覗き込んだ。
 “幻想郷担当の閻魔による地底の視察にあたり、護衛の者を公募します。応募資格は…………”


 人里の郊外に屋根の無い簡素な会場が設けられ、小悪魔はパチュリーに付き添われてそこへやってきた。集まった人妖は、見物人も含めてぽつぽつといる程度だった。
「いい天気でよかったじゃない」
 パチュリーは目を覆いながら空を眺めた。小悪魔は「そうですね」と答えつつ、意識して息を吸ったり吐いたりした。

 会場の奥には茶色の長机が備えられていて、真ん中には青帽の閻魔が、その隣には赤髪を束ねた死神が座っていた。机の正面には木でできた円い台が設けられていて、十人は寝そべることができそうな広さだった。
「では一番の方どうぞ」
 その死神が調子の良い声で促すと、銀髪で緑の服を着た少女がずいと演台へ出て、中央でぴたりと動きを止めた。会場の空気も同時に凪いだ。
 そのまま目を閉じてじっとしていた、かと思うとやにわに剣を抜き取り構えた。剣の先が光った。次の瞬間、少女は剣を素早く横に振って空気を切り裂き、軽やかな足取りで演台の隅々に飛び跳ね始めた。少女があちこちで剣を一振りする度に、周囲からは感嘆の声が漏れた。小悪魔も自分が候補者であることを忘れ、その蝶のような動きにすっかり目を奪われた。
 ひと通り演舞を披露した少女は真ん中で再び動作を止め、一呼吸置いてから、滑らかに刀を腰に戻した。刀の柄が鞘に当たる鈍い金属音が響いた。と同時に、まばらな観客から惜しみない拍手が送られた。少女は顔を綻ばせ、演台を後にした。
 剣の少女が戻ったのを見て、小悪魔ははたと我に返った。
「え、その、こういう集まりだったんですか?」
 小悪魔はパチュリーの左腕を掴んで問いかけた。パチュリーは小悪魔を見ずに「そうね」とだけ呟いた。

 小悪魔は“伍”と書かれた札を貰っていた。周りの参加者を見て、恐らく自分が最後だろうと見当をつけた。そして、そのときまでにみんな帰ってくれればいいのにと念じた。
「四番の方どうぞ」
 死神が呼び掛けると、「はい」と透明な声が響いた。嫋(たお)やかに演台へ上る少女は、青く縁取られた白色の装束を身に纏っていた。
「あの、皆さん、プラネタリウムって知っていますか?」
 装束の少女は控えめな笑みで周囲に問いかけた。遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。
「では始めます。立体プラネタリウム」
 少女は大きく息を吸って、白い紙の付いた棒を真上に掲げた。その瞬間、棒の先から黒い光が鋭く放たれ、会場を半球状に包み込んだ。たちまち何も見えなくなり、小悪魔はパチュリーの手をぎゅっと握った。
 真っ暗なままで何も起こらず、辺りの観客がざわつき始めた。だが突然、てっぺんにまばゆい白色の点が灯り、暗闇に包まれていた会場を明るく照らした。
「客星は、このようにして肉眼でもはっきりと捉えられるほどの光を放ち、夜でもまるで昼間のように地表を照らします」
 演台の少女がそう言い終えると、天井の光はふっと輝きを失った。
 続いて、演台の中央にいくつかの点が放たれた。中央に三つの青白い点が凝集して、縦長の長方形を描く四つの点がそれを囲うようにして並べられた。それらの点は縦を軸に取り、緩やかな回転運動を始めた。
「皆さんご存知、オリオン座です。中央に並ぶ三つの星は、住吉三神の御姿であると言われています。
 上側で一際輝く赤い星は平家星(ベテルギウス)です。もうすぐ見られなくなるのでよく目に焼き付けてくださいね」
 小悪魔はその星に向かって手を伸ばしてみた。けれども思ったより距離があり、空気を掴むだけだった。
 少女は周囲をぐるりと見回してから、星たちに手を翳して明かりを消した。辺りは再び闇に覆われた。
「なんといっても私が大好きなのは流星群です。綺麗な流れ星がたくさん見られるなんて素敵でしょう?
 流星群の源は主に彗星で……、まあいいや」
 少女が語りを止めると、暗闇の空間は水を打ったような静寂に包まれた。小悪魔も固唾を呑んで、首を上に向けた。
 そのとき、上空にぱっと緑色の五芒星が灯された。地面や観客も柔らかな緑に照らされた。小悪魔がそれに見とれていると、その星は小悪魔目掛けて勢いよく落下してきた。小悪魔は驚いて体を丸めた。だが何の衝撃も無い。恐る恐る顔を上げると、いつの間にやら色とりどりの五芒星があちこちへ乱れ落ちていた。星たちは質量を伴っていないのか、ぶつかっても全く感触が無かった。小悪魔は手で星を掬ってみようとしたが、呆気なく手をすり抜けていった。会場は歓声と七色の光に満たされた。
「以上で終わります。ありがとうございました」
 少女はそう言って棒を振り上げた。会場を覆っていた闇は棒に吸い込まれていく。再び日光が差し、小悪魔は眩しくて目を瞑った。ちらほらといた観客たちは万雷の拍手を送った。小悪魔はいつも通りに戻った周辺を見渡して少し淋しい気持ちになりつつも、これが一体戦闘でどのように役に立つのかと首を傾げた。だが、演台に立つ少女の表情は晴れ晴れとしていた。

「五番の方どうぞ」
 小悪魔は暫くふわふわとした気分で居たが、その言葉で一気に心が冷めた。パチュリーの顔を見た。
「行ってらっしゃい」
 パチュリーは小悪魔の背中をそっと押した。
 小悪魔はぎこちない足取りで踏み出し、演台で躓きそうになりながらも閻魔たちの正面まで進んだ。閻魔と死神は真剣な目つきで小悪魔を捉えた。
「こ、小悪魔と言い、紅魔館所属の小悪魔です」
 そこまで言って、どうしたものかと小悪魔は額に冷や汗を浮かべた。
 先ず以て、天に向かって青い球体を乱射した。空はとても青かったので、小悪魔の弾幕は少し見づらかった。閻魔たちの反応を見た。二人はただじっとしているだけだった。
「えと、あの、その」
 小悪魔は頭が真っ白になって、しどろもどろに言葉を並べることしかできなくなった。次第に視界が白く濁ってゆく。
「ちょっと待って!」
 一本の澄んだ声が会場を貫いた。声の方を振り向くと、パチュリーが演台に上ろうと悪戦苦闘していた。小悪魔は何が何だかわからなかったが、とりあえずパチュリーに手を差し伸べた。パチュリーは演台に四つん這いになって息を整えてから、ゆっくりと立ち閻魔を見据えた。
「この子にはこれといった特技が無い、それは認めるわ。
 けれども誰にも負けないものを持っている。それは、素直さと真面目さよ」
 パチュリーは凛とした声と共に小悪魔を指差した。小悪魔はなんだか照れくさくなって目線を落とした。それを受け止めたのか、それまで沈黙を貫いていた閻魔がこの段になって口を開いた。
「確かに、貴方からは偽りの波長を感じません。魔法使いの言っていることは真実でしょう。
 素直なのは善いことです。そうですね、小町、この子を護衛にしましょうか」
 そう問われた死神は「ええ、まあ、そうですかね」と煮え切らない様子だったが、閻魔は小悪魔を見ては何度も頷いた。何やら事態が思わぬ方向に傾いているのを見て、小悪魔は心臓の鼓動を高めた。
「それは無いんじゃないかしら」
 そのとき、観客の方から透明な声が響いた。声の主は扇子を優美にはためかせていた。そして、先ほどまでは緊張して気づかなかったが、とても目立つ水色の着物を身に纏っていた。
「それを言うなら、私の妖夢だってとても素直でいい子よ」
「ちょっと、止めてください」
 水色の女性は演台へ上ろうとしたが、横から出てきた緑の少女が必死に引き留めた。
 小悪魔がぽかんとしてそれを眺めていると、さらにその奥から赤い服の女性がしゃしゃり出てきた。
「貴方たちはそんなこと言うけれど、私らだってね、そりゃあもう大事に大事に早苗を育ててきたのよ。
 早苗こそ、誰よりも強くて美しいに決まっているわ」
「神奈子様!」
 装束の少女は横で顔を真っ赤にしていた。小悪魔も恥ずかしくなって目線を逸らした。
 とうとう水色の女性と赤色の女性は制止を振り切り、同時に演台へ上がってきた。パチュリーは自ら二人に接近した。
「何よ貴方たち」
「貴方こそ勝手なことをしないでほしいわ」
「がんばった早苗に譲ってやってくれない?」
「がんばったのは小悪魔も同じよ」
「いいわ、実力行使よ。ちょっと表へ出なさい」
「亡霊風情が。かかってきなさい」
「え? 何? もう、私だって負けないんだから」
 パチュリーたち三人はがやがや言い合いながら会場の外へと飛んで行った。小悪魔は演台に一人取り残され、空を見上げて呆然と立ち尽くした。正面の閻魔がぽつりと呟いた。
「今回は一人で行くわ」
 それを聞いた死神は「そうですね」と素っ気ない返事をして、さっさと机を片づけ始めた。小悪魔はぼんやりと撤収の様子を眺めていたが、死神に「あ、降りてもらえます?」と促されて演台の外へ出た。観客がいた方を見ると、緑の少女と装束の少女が生気の無い目で遠くを見つめていた。小悪魔はぱたぱたと二人に近寄った。
「あの、よかったらご飯でも食べに行きませんか?」
 二人は小悪魔に目を遣り、控えめに微笑んで静かに頷いた。
 それから三人は、「いつも剣の練習をしているんですか?」「また今度流れ星を見せてほしいです」などと話しつつ、できるだけ上空を見ないようにして、会場を後にした。

  おわり


『ジュピター神とサル』より