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紅美鈴昏睡事件


 昼下がり、この時間帯になると咲夜はたまに美鈴の様子を見に行く。真摯に仕事しているかを確かめるためだ。
 玄関を出た咲夜はまっすぐ門を見た。門の脇に、いつもの長身立ち姿は見当たらなかった。その代わりに、門の手前で黄緑色の何かが倒れていた。周囲の白い石畳には大小の赤い点々が付着していた。咲夜は血相を変えて駆け寄った。
「美鈴! 美鈴!」
 大声で呼び掛けながらも体は決して揺すらなかった。背中が赤く染まった美鈴の反応は無かった。咲夜は美鈴の腕を手に取り、咲夜の細い指先で美鈴の手首を軽く抑えた。少しの間を置いて、咲夜は小さく頷いた。それから駆け足で紅魔館へと引き返し、メイドの妖精を数人引き連れ戻ってきた。
「水平に持ち上げて。変に動かしてはいけません」
 冷静な声色とは裏腹に、咲夜の両肩は激しく上下していた。程無くして、美鈴は紅魔館の中へ運ばれた。

 美鈴を医務室まで運び込み、比較的出来の良い妖精たちに看病を任せた咲夜は、その足で主の部屋へ向かった。
「お嬢様。至急、館の者を大広間に集めてくださりますか」
 レミリアは何も言わず頷いた。

 館の主たるレミリア、咲夜、パチュリーや小悪魔が大広間のテーブルに列席した。薄明りのシャンデリアが部屋をぼんやりと照らす。テーブルの周囲は多くの妖精たちでごった返していた。
「一体何の騒ぎかしら」
 パチュリーは抱えていた本をテーブルに置き、上席のレミリアを見た。レミリアは咲夜に目線を送った。
「美鈴が何者かに危害を加えられたようです」
「容体は?」
「急を要するほどではありません」
「そう。けれどもそのままでは危ないわ」
 パチュリーは左横に座る小悪魔に何やら耳打ちした。小悪魔はパチュリーの目を見て「はい」と返事した後、性急な足取りで大広間を飛び出した。
「何をなさったのですか?」
「医者を呼んだのよ。貴方たちの知り合いをね」
 訝しげな視線を送る咲夜に、パチュリーは実に飄々とした態度だった。

 パチュリーの提案で、三人は外へ出て門の痕跡を確かめることにした。
 正面入口へと続く石畳は、最初に咲夜が見たときと同じく、門の付近だけが赤く染まっていた。
「あれ」
 屈んだ姿勢で地面に手を差し出していたパチュリーが間の抜けた声を上げた。
「侵入というか、他者の入り込んだ形跡が全く無いんだけど」
 背を起こしたパチュリーは、魔力の帯びた右手を掲げながら二人の方を向いた。
「それはつまり」
 咲夜の問いかけにパチュリーが呼応した。
「ええ。間違い無く身内の犯行よ」

 大広間に戻った三人はまず、館の者それぞれに事件当時の行動を尋ねることにした。ただし、現場が外であることから主の妹は除外された。
「妖精たち。貴方たちの中で館の外に出た者はいないかしら」
 混雑する妖精の集団に近寄った咲夜は少し柔らかめの口調で尋ねた。妖精たちが咲夜へ群がった。
「ここは幼稚園の教室かしら」
 レミリアはテーブルに肘をつきながらその様子を眺めていた。
 妖精たちはわいわいがやがやするばかりで、誰がどうしていたのかちっともわからなかった。それを目の当たりにした咲夜は、パンパンと手を叩いて妖精たちの動きを止めた。
「わかりました。貴方たちの中に悪い子はいません」

 咲夜が妖精たちを元の配置に戻し、大広間にはその熱気だけが残った。
「では本題に入ろうかしら」
 パチュリーの声がやたらと響いた。
「私はずっと、ここ大広間の掃除をしていました」
 咲夜は実にはきはきとした口調で答えた。
「私は午後のティータイムだったわ」
「吸血鬼なんだから夜に飲みなさいよ」
「うるさいわね」
 レミリアはパチュリーに小言を挟まれてムスッとした。咲夜はそれを見て吐息混じりの咳払いをした。
「ちなみに私は、まあいつも通りだけれど、地下室の図書館で本を読んでいたわ。
 見える位置に小悪魔もいたから、戻ってきたらお互いに証明もできるわ」
 パチュリーがそう言ったところで、激しい衝突音を立てて扉が開け放たれた。レミリアはちょっとだけ肩を震わせた。
 扉の向こうには屈んだ小悪魔が息を切らせ、その傍らには、青と赤を半々に分けた服を纏う女性が穏やかに立っていた。
「医者です。患者はどこですか?」

 医者である永琳を引き連れたレミリアたちは医務室を訪れた。白いベッドが横に三つ並んだ部屋、その中央に美鈴がうつ伏せで寝かされていた。横には三人のメイド妖精がいて、首筋に濡れタオルを載せたり、美鈴の手をぎゅっと握ってあげたりしていた。
「ご苦労様。後は私が変わるわ」
 永琳はずいと前へ出て妖精たちを退かせた。続いて手や首の脈を取り、美鈴の顔に手を当て、そして頷いた。
「それほど重症でもなさそうね。彼女は妖怪だし、この程度なら問題ないわ」
 部屋の空気が少し和らいだ。だが間髪入れず、パチュリーが尋ねた。
「傷口はどんな感じかしら」
 永琳は、周囲に見えないよう背中を白い布で覆ってから、そっと布の間を覗いた。部屋はしんと静まり返った。
 永琳が布をはらりと戻し、レミリアたちに顔を向けた。
「背中の下部にナイフで刺したような跡。間違い無いわ」
 部屋にいた全員が咲夜を見た。咲夜は「私じゃない」と言いながら、手拭いを額に当てた。

 美鈴の世話は引き続き永琳に頼むことにした。それもただ治療をするだけではなく、事件の手がかりがあれば報告するようにとパチュリーが念を押した。
 レミリアたちは警備員さながらに咲夜を囲むような位置を取りつつ、大広間へ戻った。それから咲夜を先に席に着かせ、レミリアたち三人は向かいの席に陣取った。
「咲夜、どうしてこんなことをしたのかしら」
 レミリアがひどく肩を落とした。
「ちょっと待って、いやお待ちくださいお嬢様。私がしたとは一言も言っておりません」
 咲夜の目は激しく泳いでいた。
「とは言えお医者様もああ言っていることだし」
 パチュリーが追従したそのとき、咲夜が飛びついた。
「そうです、凶器です! 皆さんの武器を確かめましょう」
 咲夜は体のあちこちからナイフを取り出し並べ始めた。
「よくもまあそんなに身につけていたわね」
 テーブルにびっしりと並んだナイフにパチュリーが感嘆の声を上げた。
「この通り、一切血痕は付着しておりません」
 テーブルのナイフは、どれも曇りの無い光沢を見せていた。
「他にも隠し持っているんじゃない?」
 レミリアはそう言いながら咲夜の腹を小突いた。咲夜は素早く首を振った。
「さあ、他の方はどうです?」
 幾分か平静さを取り戻した咲夜がパチュリーを見た。パチュリーはテーブルに置いてあった分厚い本を手に取った。
「敢えて武器と言い張るならこれぐらい。見ての通り、どこにも血なんてついていないわ」
 横にいた小悪魔も、降参したみたいに両手を挙げた。
「で、レミィ、貴方はどうなのかしら」
 パチュリーは本をテーブルに戻しつつレミリアの目を見た。
「私の武器? ああ、『スピア・ザ・グングニル』のことかしら。
 あれは弾幕を帯状に展開しているのよ。よって武器は無いわ」
 レミリアは胸を張り、大層誇らしげに主張した。咲夜もパチュリーも頷いた。
「え、でも」
 小悪魔が何やら口を挟もうとしたとき、大広間の扉が軋んだ。四人は一斉に振り向いた。精悍な立ち姿で永琳が佇んでいた。永琳は扉が開き切ったのを目で確かめてから、実に姿勢よく歩み寄ってきた。
「検死、いえ、私法解剖、失礼、診察の結果が出ました」
 四人は同時に息を呑んだ。永琳は四人の様子を順々に見回してから、言葉を続けた。
「ナイフで刺された可能性は依然としてあります。ですが」
 静寂に包まれた部屋に少し間を置いた。
「それにしてはやや出血量が多いのではないか。これが私の所見です」
 永琳は言いたいだけ言って、反応を待たず部屋を後にした。誰も何の言葉も挟めなかった。咲夜は両手を強く胸元に組んでいた。

 結局、レミリアの提案で再び現場の捜索に赴いた。四人は血痕飛び散る地面を注視したり、周囲をきょろきょろ見回したりしていた。
 レミリアも自分で日傘を差し、庭先をうろついていた。
「あ!」
 レミリアの叫びに他の三人が駆け寄った。レミリアは茂みから棒状のものを取り出した。上半分は赤く染まっているがところどころに銀色が見え、下半分は濃い茶色の持ち手になっていた。
「ナイフ!」
 パチュリーが息を切らしつつ驚嘆の声を上げた。咲夜は目を丸くしてレミリアの手を見つめた。
「咲夜」
 ナイフ片手にレミリアが咲夜に顔を向けた。
「いえ、その、本当に知りません」
 咲夜は手を小刻みに震わせていた。
「ま、あなた前々から門番に恨みを持っていそうだったし」
 パチュリーはしみじみと首を縦に振った。
「本当に違います」
 咲夜は表情こそ崩さなかったが、ただ否定を重ねるばかりだった。

 三人は咲夜を促し大広間へ連れ戻した。三人はまた、咲夜を尋問するような位置に座り問いかけた。
「今、素直に言ったら貴方の主も許してくれるかもよ」
 テーブルの中央には血の付いたナイフが置かれていた。咲夜はナイフに目を遣った。
「もう一度、そのナイフを見せてもらえますか」
 対面の三人は互いに目を合わせてから、パチュリーがナイフを手に取り咲夜に差し出した。咲夜はそれをそうっと受け取り、食い入るように眺め始めた。
 ナイフの先から慎重に目線を移していく。すると、途中で咲夜の目の動きがぴたりと止まった。途端に咲夜の血色がよくなった。
「皆様」
 咲夜は自信たっぷりの目つきで三人を見た。
「このナイフの柄、この部分に血が付いています」
 柄の細い部分を指差した。三人は身を乗り出してそれを見た。
「見ていてください」
 咲夜はそう言ってから、ナイフの柄を厳かに握った。血がついていた部分はすっぽりと隠れた。
「あ」
 三人は同時に声を漏らした。
「そう。私がこのナイフを使ったのならば、ここに血が付着することはありません。すなわち、」
 咲夜は大きく息を吸った。
「手の小さな人が犯人です」
 淡々とした咲夜の声が、部屋全体に響き渡った。
 パチュリーはすかさずレミリアの方を見た。
「いやそれちょっと、私が犯人だって言いたいの?」
 レミリアは激しく瞬きを繰り返していた。
「そもそもナイフにしては出血が多すぎるんでしょう? だったらそんなの意味無いわ」
 レミリアが必死に捲し立てているところで、小悪魔が口を挟んだ。
「あの、やっぱり、お嬢様の『ハートブレイク』も確かめませんか?」
 咲夜とパチュリーははっとして小悪魔へ振り向いた。それから、再度レミリアに目を戻した。レミリアの肌は青白くなっていた。

 三人は主の部屋へと急行した。レミリアも、為す術も無く同行した。
 扉を開けると、部屋の奥には光り輝く赤の槍が立て掛けられていた。近寄って観察すると、思いのほかほっそりとした先端はびっしりと血塗られていた。
 槍に注目する三人の背後にレミリアが声を掛けた。
「参ったわ。降参よ」

「そう。私が美鈴を刺した。それから、咲夜のナイフで傷口の偽装もした」
 レミリアは自室の玉座に座った。
「どうしてそんなことをしたの?」
「みんなを試したかったのよ。どんな反応をするのか見たかっただけ」
 レミリアの語り口はとてもあっさりしていた。
「けれども、美鈴は危害を加えられたのですよ! いくらお嬢様と言えそれは!」
 咲夜は眉を尖らせ、力んだ声で訴えた。レミリアは緩やかに首を振り、冷たい目を咲夜に向けた。
「私の傍にいたら無事に終わる。必ずそうなるのよ」
 咲夜は肩を落とし、それ以上何も言わなかった。
「皆さんおはようございます!」
 突如、能天気な声が部屋の入り口から浴びせられた。黄緑色の上下を纏った美鈴が、赤い長髪を揺らしながら笑顔で手を振っていた。
「いやー、皆さんご心配をお掛けしたようで」
 軽い調子でポンポンと言葉を並べながら、美鈴がずいずいと四人の下へ近づいてきた。四人はただぽかんと美鈴を見つめるばかりだった。
「美鈴、貴方もう大丈夫なの?」
 声を軽く震わせて咲夜が問いかけた。
「ええもちろん」
 美鈴はそう返しつつレミリアと目を合わせた。レミリアは目線を逸らした。
「そりゃだって、お嬢様に頼まれて殺人ごっこをしていたんですから」
「それは言わないで!」
 レミリアが慌てて立ち上がり、両手を振って美鈴を制止した。だが既に咲夜たちの目線はレミリアを捉えて離さなかった。

 事の真相はこうだった。
 レミリアが美鈴に死んだふりをしてくれとお願いした。殺人現場に見せかけるため、まずは盛大に吸血をした。吸血が下手なレミリアは血を大量に溢(こぼ)す。地面が血で染まる。
 次に、レミリアは美鈴の背中を咲夜のナイフで刺した。レミリアは、妖怪だからこれぐらい大丈夫だろうと睨んでいたらしい。だが吸血に出血が加わったため、美鈴はクラクラとしてその場に倒れた。つまり貧血だったのだ。それをレミリアは、美鈴が死んだふりをしてくれたと勘違いした。
 その後、背中から出た血を『ハートブレイク』の先っちょに塗り、最後にナイフを庭の茂みに隠して、終わり。

「バカバカしい」
 パチュリーが溜息交じりに漏らした。咲夜は苦笑いを浮かべつつレミリアを見た。
「いや、だって、その、たまには皆を楽しませたかったのよ」
 レミリアは伏し目がちに、たどたどしく言葉を返した。
「そうですね。妖精たちに、お嬢様と遊んであげてと伝えておきましょうか?」
「要らないわよ!」
 紅魔館の笑い声が霧の湖に木霊した。

  おわり


『老婆と医者』より