全力を覚る小町
小町は三途の川を眺めた。日に当たって少し黄色がかった水の流れは、呆れるほど平和ボケしていた。小町は自発的に休憩を取ることにした。 少し離れたところの木へトボトボと歩いてゆき、いつもの特等席に腰を下ろした。そうして、のんびりと漂う雲を眺めつつ、瞼の力を抜いた。 何か固いもので眉間を小突かれ、小町は木の幹に頭をぶつけた。目をぱちりと開くと、チャイナドレスのような青い上衣を身に着けた長身が、やたらと長い紅白のリボンをたなびかせていた。小町はふにゃふにゃの声で答えた。 「まちがえました」 小町はもう一度後頭部を強打した。 それから小町は配置に戻り、日がな一日粛々と舟渡しを続けた。 粗方の仕事が終わり空が赤く染まった頃、前方から薄い桃色が飛んできた。その少女は右半分にウェーブをかけた水色の髪をはためかせながら、両手を広げて小町の前に降り立った。 「メルランお前はいいなあ、気楽そうで」 小町は川辺に座り込んでメルランを見た。すると突然メルランはトランペットを小町の目の前に漂わせ、手を翳し割れんばかりの音を鳴らした。小町は慌てて耳を塞いだが、耳の中で行き場を失った音たちが暴れ狂った。 トランペットの震えが止まったのを見て、騒霊の表情を確かめ、小町はそろりと手を離した。それを見計らったかのようにメルランが叫んだ。 「全力で休むんだよ。サボるなら全力でサボれ!」 メルランは弾丸のようにその場を飛び去った。小町は桃色の後姿を呆然と見つめた。そのまま、メルランが完全に姿を消すまで目を離さなかった。小町はメルランに釘付けになっていた。 翌日、小町は意気揚々と出勤した。その勢いで午前中は全力で仕事をこなした。昼食も全力で摂取した。 昼下がりになって、胃腸が眠気を訴え始めた。小町は岸辺に立ち、半目で周囲の気配を確かめた。誰もいない。小町は心の中で頷いた。 突如、小町は獣のように目を開けて、死神の鎌を横へ高々と放り投げた。それが音を立てて落下する前に、小町は砂埃を上げて飛び上がった。木々が視界の端で倒れ、目に飛び込む景色全てが後退し始める。小町は風を体いっぱいに感じた。 気分が良くなったのでさらに高度を上げてみた。周囲の様子を見渡してみた。視界の端に不自然な青が映った。小町はビクリと肩を揺らした。そうっと首を動かして後ろを確かめた。それは間違いなく、水平に背筋を伸ばしてこちらへ向かって飛んでいる上司だった。 小町は気力を振り絞って速度を上げた。けれども後続との距離は縮まる一方だった。小町は泣きそうになりながらも全力で飛び続けた。 後方から轟音が鳴り響いた。驚いて振り返ると、無数の赤い弾幕が小町に襲いかかっていた。小町は胴体に直撃を喰らい、呆気なく樹海に撃ち落された。 地面に激突した小町に青い制服が近づいてきた。小町は膝を立てた格好でカサカサと背後に逃げようとしたが、背中に木の幹が当たって断念した。 「死神の象徴まで堂々と放棄するなんて。一体どういう了見ですか?」 上司がにじり寄る。小町は一度目線を下に逸らしたが、覚悟を決め、上司と目を合わせた。 「全力で休みを取りに行きました」 上司は小町を見つめたまま沈黙した。それから、手に持つ悔悟の棒に何やら書きつけた。上司がそれを振り上げたとき、小町は棒に書かれた「全力」の二文字を見た。 おわり 『少年とイラクサ』より