峰打ち辻斬り腕自慢妖夢
妖夢は、日が沈むのを待って白玉楼を抜け出した。そうして人里の近辺まで来ると道端で立ち止まり、軽く腕を組み目を閉じた。辺りは虫の声がよく響いていた。 暫くすると、右方からザリザリと砂の上を歩く音が聞こえてきた。妖夢はすっと目を開いた。闇の中に人物の影を捉えた。その者が刀を差しているのを確認して、妖夢は前を遮った。 「こんな夜道に出歩くとは。愚か者」 見知らぬ人物に向かってそう言うや否や自らの刀を翻した。それから、相手が身構えるよりも早くその者の背中を叩いた。 妖夢は修行の一環として夜毎に、武器を持っている者を襲っていた。よい鍛錬になるのだからと、自分の行いがお互いのためになると信じて疑わなかった。 妖夢は買い出しのため人里を訪れた。辺りには涼しげな日差しが降り注いでいた。 すると、周りの人々が何やらざわめき始めた。妖夢は不思議に思って周囲をきょろきょろと見渡した。 遠くの者が呟いた。「あれが辻斬りの魂魄」 その声がくっきりと耳に入った。 みんな私のことを畏敬しているんだ。凄いやつだと思っているんだ。 妖夢は一人で納得すると、口の端に笑みを浮かべて街道を進んだ。 十字路を左に曲がると、通りの向こうで甲高い泣き声が聞こえた。近づいてみると、妖夢より一回り小さい女の子が道端で転んでいた。 妖夢は腰の刀を片手で支えながら、屈み込んで女の子に手を差し伸べた。 「大丈夫?」 女の子は涙を拭いつつ振り向いた。ぴたりと目が合った。女の子の顔が強張った。かと思うと、女の子は堰を切ったように大声で泣き出した。妖夢は肩をビクリとさせて狼狽した。 何の騒ぎかと大人たちが集まってきた。女の子は数人の大人に宥められ、妖夢はその輪の外に弾き出された。 不意に、その内の一人が妖夢の方を振り返った。 「出て行け! この極悪人が!」 妖夢はたじろぎ、その場に背を向け走って逃げた。 人里を大分離れたところでようやく妖夢は足を止めた。付近に葉がふっさりした木があるのを見つけ、よろよろと倒れかかった。 木の根を枕にして横たわり、囚人のように手を前に組んだ。目の前の草地を眺めていると、雑草に紛れて生える一輪の黄色い花が目に留まった。その花は太陽に負けず劣らず鮮やかな色彩を放っていた。妖夢は涙が止まらなくなり、木の根に顔をうずめた。 陽が傾く頃合になって、妖夢はゆっくりと立ち上がった。橙(だいだい)に染まる空に目を遣って、腰に差した刀の柄をそっと撫でてから、自分の住処へと帰っていった。 次の日、白玉楼にて、刀を使って元気に庭仕事をする妖夢が発見された。 おわり 『人を噛むイヌ』より