奇襲を覚えた小傘
多々良小傘は朝っぱらから原っぱで寝そべり、暁の空を見上げて一人考え込んでいた。どうすれば人を驚かせるのだろう。頭を悩ますがさっぱり構想が纏まらない。 私は人間を驚かそうとしている。人間が驚くときの状況さえわかれば。 小傘はひょいと立ち上がり、跳ね上がるようにして空へ舞いあがった。 閉じた化け傘を片手で抱えながら、小傘は人里へ入った。里の通りでは人々がのんびりと行き交っていた。小傘はその真ん中に立ち、通り行く人々に一人ずつ声をかけた。 「あなたはどんなときに驚きますか?」 小傘は額の汗を拭いながら人里を出た。小傘の心の中は、怪訝な目線と貴重な意見で埋め尽くされていた。それから適当な木陰に座り込み、目を閉じ、集めた情報を頭の中で整理した。そして一つの結論に辿りついた。 人里を離れたときに襲われると驚くんだ。 小傘は目を大きく開き、地面を強く蹴って飛んだ。 陽の光が薄れる森の中、小傘は叢(くさむら)に屈んで身を隠していた。草と草の間から目を覗かせ、前面を横切る道に人間が通るのを待ち構えているのである。 少しばかりして、左方から砂利混じりの足音が聞こえてきた。小傘は固唾を呑み、前方を注視した。些かの間の後、小傘の視界に黒光りするローファーが映った。小傘は一瞬目をぱちくりさせた後、意を決して前方に飛び込んだ。 「うらっしゃあ!」 小傘の声が木霊する。前方の黒い魔法使いが振り向く。跳躍した小傘の体がその者の目の前まで迫っていた。魔法使いは体をぴくりとさせた。間髪入れず、小傘はその人間と盛大に衝突した。 魔法使いは一歩分ほど後ろに飛ばされて尻餅をついた。その正面には、倒れた小傘が満足げな笑顔で息を荒くしていた。魔法使いは立ち上がり、小傘に近づいて角ばった何かを構えた。 「なんだ妖怪か。じゃ、一応」 森の一角がまばゆい光を放った。 小傘は、衣服のところどころに焦げ跡を残しながら森を出た。小傘は思った。きっと場所が悪かったんだ。小傘は森の出口から別方面を見据えた。 太陽がてっぺんを越え始めた頃、小傘は黄緑色の世界に足を踏み入れた。見渡す限り、よく育った竹の群れが広がる。小傘はちょいと奥まで進んでから、竹林の隙間に隠れた。 少し待つ。来ない。仕方がないので地面にお絵かきをしながら待つ。終いには小傘の周辺に地上絵ができた。それでも、人の気配は一切無いままであった。 竹林が夕日に照らされ、薄い橙(だいだい)に染まり始めた。小傘は目をしょんぼりさせながら、体を重そうにして立ち上がった。 もと来たと思われる道を辿り始める。だが一向に外へ出られない。小傘は周囲を見回した。同じような竹が同じような様子で、どこまでも並んでいた。小傘はへなへなと座り込んでしまった。 太陽が殆ど沈もうとしていた。小傘は未だ膝を抱えたままだった。そこへ、白い上衣に紅のモンペを身に着けた少女が通りかかった。小傘は足音に気付き顔を上げた。見ると、きょとんとして小傘を見つめる少女の顔が、微かな夕日に照らされていた。 小傘はその少女の背中を追って暗闇の竹林を進んだ。 「暗い?」 「うん」 小傘がそう返すと、少女の右手にぼうっと火が点いた。小傘たちはあたたかな光に包まれた。その光で竹林が揺らめく様子に、小傘は目が蕩けそうになった。 暫く歩いていると、前方に満天の星空が広がった。その先は竹林が途切れていた。小傘は竹林の外まで走って、夜風を体いっぱいに浴びた。それから、竹林の入り口に立つ少女に深々とお辞儀をした。少女は左手で軽く手を振り、右手の火を消して竹林の奥へと消えていった。小傘はあたたまった心に感銘を覚えながら、少女が去り行く様子をいつまでも見届けた。 おわり 『ヒツジの皮をかぶったオオカミ』より