犬走椛の新聞づくり
椛は日々、山を守る仕事に精を出していた。侵入者を退治したり見回りを行ったり、迷子の保護やにとりの肩たたき、頼まれたことは何でもこなした。 だが一方で、毎日悠々と取材生活を続ける射命丸の存在が頭の片隅にあった。自分はこんなにがんばっているのに、どうして彼女がいい暮らしをしているのだろう。いつしか椛は、射命丸の生活に羨望を抱くようになっていた。 ある日、椛は思い立った。自分も新聞屋に転職しようではないか。 そう決めてからの椛ははやかった。黄ばんだ紙と固くなった筆を持って、駆け足で山を下りていった。 椛はまず博麗神社へと足を運んだ。なぜなら射命丸がよく行くからである。 神社の縁側では、巫女が箒を抱えてのんびりとしていた。椛は尻尾をふさふさと振りながら近づいた。 「すみません。少しお聞きしたいことが」 霊夢は椛が被る赤い頭襟(ときん)に目を向けた。それで、椛から顔を逸らして答えた。 「今ちょっと忙しいの」 椛は顔を顰(しか)めた。縁側で座ることの何が忙しいのか。椛は語気を強めて言葉を続けた。 「最近何かおかしなことがあったのなら、お話を伺おうと思った次第ですが」 霊夢は鋭い目つきで椛を見た。 「うるさいわね。あんたたちと話したい気分じゃないの」 椛は驚いて身を引いた。それから萎れたように耳を垂らすと、とぼとぼとその場を去った。 何がいけなかったのだろう。あの荒い巫女といえども、自分の所為で不快な気持ちにさせてしまった。他人に迷惑をかけてしまっては意味がない。 博麗神社の階段を一歩一歩降りながら、椛は気持ちを引き締めた。 椛は続いて魔法の森へと足を踏み入れた。なぜなら射命丸がこの辺りにも出入りするからである。 わすわすと地面を鳴らして森を歩く。すると、木の麓で何やら屈んでいる魔理沙を発見した。これはきっと何かあるに違いない。椛は口角を上げつつ魔理沙の下へと歩み寄った。 「こんにちは。何をしているのですか?」 椛も一緒に屈んで、魔理沙の顔を覗く。魔理沙は土を探るのに夢中で、椛を見もせず答えた。 「いま大事なところなんだぜ」 椛、これは邪魔してはいけないと思い、その場で魔理沙を見守ることにした。 魔理沙は暫く地面を眺めるばかりだったが、遠くの木の根っこ辺りにぴたりと目を止め、かと思うと一目散に走り出した。椛も慌ててその背中を追いかける。 「見つけた……!」 魔理沙が溜息混じりに呟く。椛が木の根の裏側を覗くと、つぶつぶ模様で、指先ぐらいの大きさであるキノコがびっしりと生えていた。 魔理沙はその一本を指で摘(つま)むと、椛にそれを差し出した。 「食うか?」 椛はそれを掌に乗せてもらい、迷いなく口に突っ込んだ。椛はきゅうとなって倒れた。 その後すぐに目を覚ました椛は、魔理沙に簡単なお礼を言ってそそくさと立ち去った。ともかく記事になりそうな情報が得られたと、椛はお土産にもらったあのキノコを手に取ってにんまりしていた。 椛はまだ飽き足らず、向日葵がたくさん咲いている方へと向かった。なぜなら射命丸がよく飛び回っているからである。 しかし主である風見幽香の姿は見当たらず、どうしたことか妖精たちがたくさん飛び回っていた。これは何かの異変か。椛は心臓の高鳴りを感じながら、とりあえず近くにいる氷の妖精に話を伺うことにした。 「そこの妖精。あなたはよくここに出入りするのですか?」 妖精は頷くだけで、すぐにぴゅーと飛び去ってしまった。 これでは仕様が無いと思った椛は、小高い丘の地面に座って妖精たちを眺めることにした。妖精たちは、まるでミツバチのように花の周りを跳ね回る。椛は悠長にその様子を見ながら、妖精たちのなんと色鮮やかなことだろうと思った。 少しばかり妖精を観察するだけの椛であったが、やはり取材をしたい気持ちは抑えられない。妖精の群れの中でも、あの氷の妖精がとりわけ目立って見えたので、椛は機を見て再度近寄った。 「妖精、先ほどの続きをうかが」 「妖精妖精って言うな! チルノだよ」 チルノと名乗る妖精が、上空で激しく大の地になって声を荒げる。 「それは失礼しました」 椛が頭を下げると、チルノは腕を組みながら垂直に地面へと降り立った。 「チルノさん。あなたはどうしてここに来るのですか?」 チルノは空を見上げてうーんと唸った。蝶がやって来て立ち去るほどの時間が過ぎた。そうしてようやくチルノは正面を向き、自信無さげな声で答えた。 「居心地がいいから?」 椛は感心した顔つきで呟いた。 「自然の神秘ですね」 椛は顔をほくほくさせて山へと戻った。自分の住処へ帰ると数枚のメモ書きを広げ、ひとしきりニヤニヤした。 次に椛は新しい紙を、年輪が映える木の机に据えた。それから仰々しく筆を持ち、深呼吸をして、紙の書き出しに筆を向けた。 陽が沈みつつある頃、椛は頭を抱えていた。眼前には真っ新(まっさら)の紙が敷かれていた。 椛は悔しくて目頭が熱くなった。今すぐ机から逃げ出したい気持ちであったが、それをぐっと抑え、再び白紙とメモ書きを見据えた。 鳥の囀りが椛の耳に入った。そのとき椛はようやく筆を置き、その場で仰向けに倒れた。机の上の紙は、びっしりと黒に彩られていた。 ひと眠りした椛は、原稿を印刷担当の天狗に持っていった。その天狗は怪訝そうに椛を見たが、椛があまりにじっと見据えるので、渋々といった様子で椛の原稿を手に取った。 暫くして、ほどよい温もりを持った新聞が椛に届けられた。椛はそれを両手で受け取ると、間髪入れずに山を飛び立った。 新聞は両手で数えられるほどの部数しかなかった。けれども、椛はそれを大事そうに抱えていた。 まず、昨日取材をした三人に新聞を渡した。人間二人は新聞を貰うと、家の中へポイと放り込んだ。氷の妖精は、たいそう嬉しそうに紙面を広げていた。 続いて湖の畔に建つ館へと移動した。射命丸のお得意様だからである。 初対面の椛は門の前で一悶着あったものの、主の計らいで中へと入れてもらえた。床も壁も紅一色に染まった部屋で、椛は椅子に座る主に新聞を差し出した。 「私の新聞です。どうぞお読みください」 主は新聞を片手で受け取り、テーブルの上にそれを広げて目を通した。程無くして主が紙面から目を離すと、真顔のまま椛を見た。 「伝えたいことはわかるわ。けれど、こんな生真面目な文じゃ全然つまらない」 主は新聞を突き返した。椛は耳をピンと立てて固まったが、どうすることもできず新聞を返してもらった。 「新聞づくりなんて、私の性に合わないのかな」 まだ日が高いうちに、椛は山へ帰った。あれからも芳しくない反応を食らって、椛はすっかり意気消沈していた。 「そんなとこで何しょぼくれているのよ」 軽やかな声が椛の上を跳ねた。椛が上空を見上げると、翼を広げた射命丸が葉団扇片手に腕を組んでいた。 「今から取材に行くんだけど。着いてきてくれる?」 椛は少し目を伏せた。それから頭の中をゆっくりまとめて、もう一度空を見上げると、大きく頷いて射命丸に附いていった。 おわり 『ロバと愛玩犬』より