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唐傘お化けの恩返し


 早苗が気持ちよく境内の掃除をしていると、草の陰から茄子色の物体がにゅっと顔を出した。かと思ったら
「うーらーめしやーうらめしやー」
と、リズミカルに物体が揺れ動く。
 ひとしきりやって気が済んだのか、水色の女の子が草を分けて境内に入ってきた。石畳と下駄が当たるたびに、乾いた木の音が辺り一面にカラカラと響く。
「驚いた?」
 小首をかしげ、舌をペロっと出して尋ねる様子は、どこかで見た近所のいたずらっ子そのものだった。
「ええ。今のに“驚いた?”なんて概念があることに驚きました」
 とりあえず、いつもの手筈で、大仰(おおぎょう)な傘を持つ少女を縛ることにした。

「やめて、命だけは!」
 彼女は早苗に手を掴まれてやっともがき始めたのだが、うらめしやだった。
「助けてよう」
 早苗は、地面に転がって苦悶の表情を浮かべる妖怪もまた乙なものだなと思いながら、この子をどうしてやろうかと考えを巡らせていた。
「お願い、ぜったい恩返しをするから」
 “恩返し”という聞き慣れない言葉に、早苗は素の表情で少女を見直した。
「お願い助けて、後悔させないよ?」
 早苗の変調を感じ取ったのか、少女は真剣な眼差しで思いを訴えた。
「“恩返し”ですか。……言いましたね?」
 唐傘ちゃんの恩返しに興味が芽生えた。だから迷わずこの子を解放した。けれどもくるくる回りながら空へ消えていく妖怪を見て、いったいあの子に何ができるのかと、ばかばかしい気持ちになった。


「その茶葉を渡していただけるかしら」
 散歩のついでに人里まで買い物に来た早苗は、最後の茶葉に手を伸ばすと背後から声をかけられた。
「嫌だと言ったら?」
 突然の敵意にむっとした早苗は振り向きもせずに答えた。すると、伸ばした右手のすぐそばでひと筋のナイフが風を切った。
「“はいどうぞ”と言わせてあげるわ」
 なんて物騒なお客さんだろう、野蛮な人が増えたものだと早苗は憂いた。
 せっかくだから相手をしてあげたいが、ここで弾をばら撒くわけにはいかない。対して声の主は、きっとこの狭い中でも自由に動けるのだろう。私は既に負けているようなものだ。
 じっとしていると、左横から透き通った手が伸びてきた。今この人はいったいどれほど私に接近しているのだろう、きっと間抜けな恰好なんだろうなと思いながら、手の行く末を眺めた。
「うらめっしゃ!」
 俄(にわ)かに天井から叫び声が浴びせられた。かと思うと、私の視界は紫色に覆われた。
「さ、私を抱えながら逃げて!」
 暗がりの中で少女が抱きついてきた。私はその子に茶葉を持たせ、代金を置きその子を抱きかかえると、一心不乱に走り抜けた。傘でナイフから身を守ろうというのか。
 去り際に傘の間から後ろを見ると、呆れた顔をした使用人が立ち尽くしていた。

 店を出て角を数回曲がった後、ここまでくれば大丈夫だろう、人気(ひとけ)の少ない通りで早苗は少女を土に降ろした。
「へへ。どう? 私でも役に立つでしょう」
 傘を抱えて地面に座り込んだままの彼女は、首を上げて得意げに私の様子を窺っている。
「はい、とっても助かりました。
 ……びっくりしましたよ」
 最後にひと言を加えてあげると、少女の表情は一層眩しくなった。
「よかったあ」
 そう呟くと少女は立ち上がり、服についた土をはらった後、
「じゃあこれ貰って帰るから」
 と言うや否や、あっという間に飛び去っていった。

  おわり


『ライオンとネズミ』より