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薬になりたい日


 メディスンは約束通り、人里で鈴仙と落ち合った。それからいつも通り、毒の小瓶を鈴仙に渡した。久しぶりの里の通りは、照りつける夏の日差しにも負けず元気いっぱいのように見えた。
 ひとときのおしゃべりを終えて、鈴仙が薬を配りに行こうとするのをメディスンが呼び止めた。
「私もついて行っていい?」

 鈴仙は人が集まる場所、いわゆる「大口の客」を担当している。集会所や寺子屋などに薬を届け、その度に鈴仙は笑顔で迎え入れられた。
 薬が使えるから?
 メディスンは、もし鈴仙のように薬を扱えれば自分も歓迎されるのだろうかと思いながら、人々と談笑する鈴仙の後姿を眺めた。


 メディスンの、薬に対する憧れは日増しに膨れ上がっていた。
 鈴仙は自分の毒を必要としている、ということは?

 頭の中をもやもやとさせながら湖の畔を歩いていた。霧が絡み付く湖の水面は、染料をぶちまけたような群青色をしていた。
 ふと、前方に片膝を突いた誰かがいるのを発見した。その人が被る黄緑の帽子に付いた、黄金の星がメディスンを見つめているような気がして、メディスンはぱたぱたと駆け寄った。
 上下も黄緑を纏うその人は、苦しそうに肩で息をしていた。肩までかかる赤い髪が揺れ動く。メディスンは、辛そうな人に対して鈴仙が行っているように、手を黄緑の人の額に当ててみた。掌にじんわりと熱が伝わる。
 おでこが熱かったときは……。メディスンは鈴仙の挙動を必死に思い浮かべた。そしてひとつの答えに結び付いた。“薬”だ。
 私は薬を持っていない。けれども鈴仙は私の毒を使っている。ならば。
 メディスンは毒を小さくまとめて掌に乗せると、「薬だよ」と言ってそれを飲ませた。黄緑の人は余計苦しんだ。


 夜が明ける頃、眠れなかったメディスンは朝焼けの鈴蘭畑に囲まれながら、前日のできごとを反芻して落ち込んでいた。
 何がいけなかったのだろう。
 あれから黄緑の人は仲間と思しきメイドに運ばれて、とりあえず平静を取り戻したようだった。しかし何の力にもなれないどころか。あのとき、メディスンはメイドに鋭く睨まれた。それが、頭の真ん中に熱く焼き付いていた。
 それでも、薬に対する憧憬は、メディスンの心を覆い尽くしたままだった。周りの鈴蘭たちは、ただ風に揺られるばかりだった。

 メディスンは、「鈴蘭畑に閉じこもってはいけない」といういつぞやの言葉を大切にしていた。目や口はしょぼくれたままで言うことを聞かないが、とにかく人里に足を運んでみた。
 人里で人に尋ねた。「物知りな人はどこですか?」
 そうしてメディスンは、寺子屋の戸を叩いた。くすんだ黄色の木の扉が横に滑り、頭で生け花をしている銀髪の人が現れた。
「こんにちは」「こんにちは」
「何か用か?」「薬ってなに?」
 銀髪の人は目を点にして固まった。メディスンはお湯をかけてあげようかと思ったが、そうする前に銀髪の人が動き出し、寺子屋の中へ案内された。

「古来、人間は様々な植物を実際に食することで、身体に良いもの悪いものを分類した。良いものはもちろん、薬として利用されていくことになる」
 木目に囲まれた小さな教室に連れられて、メディスンは畳にちょこんと正座していた。教壇に立つ銀髪の人はとめどなくしゃべり続ける。
「わかったか?」
 思いがけず、銀髪の問いかけがメディスンに投げられた。メディスンは首を傾げるばかりだった。
「すなわち、薬と毒は、区別がつかないぐらいには同じものなのだよ」
 メディスンは銀髪の言葉を頭の中でぐるぐる回し、はっとして目の色を変えた。
「毒を薄めると薬になった、というのはよくある話だな」
 正座のまま、メディスンの体がどんどん前のめりになっていく。
「毒も使い様によっては薬になる。そう、大事なのは使い方だ」
 メディスンの全身に電流が走り、体をピンと直立させた。頭の中で、出発点と到達点が一本の糸で結ばれたような気がした。
「で、こんな感じでよかったのかな」
 講義を終えた銀髪の人は、表情をふっと緩めてメディスンの反応を覗いた。メディスンは目をきらきらと輝かせていた。


 鈴蘭畑に帰ってきたメディスンは、さっそく「毒を薄めて薬にする」を実践しようと決意した。とは言うもののどうすればいいのかわからないので、とりあえずその場に正座して「毒よ帰れー」と念じることにした。しかし周りが仲間だらけなので、メディスンが力を込める度に却って毒が集まってしまう。これでは叶わないと思ったメディスンは、また外へ出かけることにした。

 人里の脇を通り抜けて、陽の光もあまり届かない森の中に辿りついた。そこで少し開けた場所を見つけたので、メディスンはその中央に坐した。
 目を閉じて、体に籠るものを放出するような空想を描く。少しずつ、うっすらと毒が流れ始めているのを感じ取った。

 メディスンはずっと目を閉じたままで、一心不乱に毒を解放していた。体の中がすかすかになったような感じがしていた。
 梟の鳴き声が耳に入った。そろそろ起き上がろうか。そう思って瞼を開けようとするが、開かない。どきりとしたメディスンはとにかく立ち上がろうとしたが、腰から下が錘(おもり)のように動かない。体を動かそうにも、そのための動力がどこにもなかった。
 だんだんと虫の声が遠くなり、風の当たりも鈍くなり始めた。メディスンは、自分の境界をも見失いつつあった。


 木目の天井が目に映った。ふかふかで暖かい布団の中で、メディスンは目を覚ました。視界の左には窓があり、外は水色の絵の具で塗りたくった空が広がっていた。
 首を右に向けると、金髪に深紅のバンドが映える誰かが安楽椅子に座っていて、こちらを見てにっこりとほほ笑んだ。
「アリス?」
 メディスンは頭をぼんやりとさせながら、起き抜けに知り合いと出会ったことを不思議に思った。
 アリスはギイと音を立てて椅子から立ち上がると、ベッドに横たわるメディスンに接近して顔を並べた。
「もう大丈夫?」
 ベッドの縁に腕を乗せるアリスに柔らかく問いかけられたメディスンは、どうしてそんなことを訊くのかと訝しがりながらも、特に体の異変を感じなかったので頷いた。
 すると、アリスは両手でメディスンの体をゆっくりと起こし、身を乗り出してメディスンを強く抱きしめた。
「バカ。今のあんただって十分役に立っているんだから」
 アリスの言葉にメディスンの記憶が繋がった。けれどもメディスンは、何か言葉を挟むわけでもなく、暫くその温もりに包まれることにした。

  おわり


『カラスとハクチョウ』より