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どうしても驚かせたい小傘


 こんな話を耳にした。


 地面の下の奥深く、煌々と燃え盛る世界の中に小さな鴉がいた。
 それから時が経ち、かつての勢いを失ったそこは、壁面に煤がこびりつくどんよりとした空間になっていた。
 鴉はこの跡地を大事にしながら、心の片隅で、在りし日の面影を追いかけていた。

 ある日、火力の世話を終えて隅っこでまるまっていると、どこからか見知らぬ2人組が舞い降りてきた。大きい方はこの地に似合う深紅を身に纏い、小さい方は帽子の目玉をぎょろぎょろさせながらちんまりしていた。
「協力してくれないかい?」
 深紅の者が鴉の顔を覗いて問いかけた。鴉が反射的に頷くと、辺りは白に白を重ねた白い光に包まれた。


 多々良小傘は飢えに飢えていた。墓地を追い出され、人里に行っても子供たちが喜んで寄ってくる始末である。
 人々を恐怖に陥れる力があれば……、そう悩んでいた矢先、地底の風聞を知った。

 小傘は地底の入り口で待ち構えていた。
 これでようやく人々に恐れられる妖怪になれるかもしれない。じっと待つ小傘の頭の中は、期待と緊張を象った天狗にぐるぐると掻き回されていた。
 暫くすると、緑色のリボンが目立つ大柄の少女がひょっこりと顔を出した。小傘の心が大きく脈打つ。けれども改めて正面を見据えて、急加速で接近して尋ねた。
「その力」
 口の中が固くなってうまく言葉が出ない。緑の少女が何事かと首を傾げている。
「その力、どこで手に入れ、たの」
 唇を震わせながら、けれども目をぱっちりと開けて、言葉を置くように話を続けた。
 緑の少女はちょっぴりぽかんとした後、
「山の神様らしいよ」
と告げ、激しく地面を蹴って飛び去った。ぶわっと舞い上がる風に心がほどよく冷やされる。
 小傘は砂埃に目を覆いながら、“山の神様”という手がかりを頭の中で反芻し、自然と笑みを零していた。

 “山の神様”の居場所はよく知っている。小傘は、慣れ親しんだ斜面を登って神社の脇に到着した。
 雑草の陰から境内の様子を窺う。見つかるとどえらい目に遭う人間はいなかったので、忍び足で建物の裏手へ近づいた。
 褐色の引き戸をそっと開く。そこから顔を覗かせたが、中はしんと静まり返っていた。神様がいないと困ると思いながらも、下駄を脱いで板張りの廊下に足を踏み込んだ。床の軋む音が足元から水平に響く。
 だが両足が板に乗ったその瞬間、横から「誰だ」と威圧された。声のした右側を振り向くと、さっきまで全く気配がなかったのに、注連縄を付けた神様が仁王立ちで小傘を睨んでいた。
「いや、その、私、怪しい傘じゃないです」
 小傘は暴れる心臓の高鳴りを抑えられずにいたが、なんとか気力を絞って身の潔白を明かした。

「人間を恐怖に陥れる力が欲しい?」
 小傘は神様にされるがまま居間に案内され、昼下がりの空気に包まれながら緑茶を頂いていた。
「深刻なんです」
 お茶を啜るのを止めて、口を結んで真摯に神様を見つめた。
「できないことは無いけれど。やめた方がいい」
 どこか諭すような口調だった。しかしそれでも諦めきれない小傘は、頭を下げて頼み込んだ。
「お願いします!」
 土下座する小傘に神様は目を見開いた。
「わかったわかった」
 小傘の背中をぽんぽんと叩いた。
「その代わり、途中で耐えられなくなったら、それまで」

 小傘は拝殿の大広間に連れられた。木と藁のような香りに混じって、ほんのりと線香の匂いが漂う。時折小鳥の鳴き声が聞こえる以外は、ひんやりとした静寂だけが辺りを支配していた。
 二人は部屋の真ん中で正対した。続いて、小傘は神様の仰るとおりに正座した。
 神様が摺り足で近づき、小傘の頭に手を翳す。一方、小傘は畳の藺草(いぐさ)に違和感を覚え、しっくりくるまで脚をもぞもぞと動かしていた。
「用意はいいかい?」
 脚に気を取られていた小傘ははっとして、反射的に頷いた。その瞬間、小傘の視界はどす黒いものに覆われた。
 妖怪に追い詰められて憔悴しきった人間。食べ物が無くて地べたを這いずり回る人間。病気で足をもぎ取られる人間。
 ありとあらゆる人間の恐怖で一切が埋め尽くされ、その全てが小傘めがけて襲いかかってきた。

 そよ風が流れるだけの大広間。正座のまま床に突っ伏した小傘を見下ろして、神様が呟いた。
「だからやめとけと言ったのに」

  おわり


『カメとワシ』より