妖怪にも個性
物干し竿のような剣を腰に提げた銀髪の少女が、夜の降りた畦道を家路に向けて急いでいた。左右には眠りこけた稲穂が月明かりに広がっている。風は無い。少女が土を削る足音だけが夜の空に響いていた。 「お嬢さん」 不意に、抑揚のない声が背後から聞こえた。だが少女は何事も無かったかのように歩みを続ける。 「お嬢さん」 少女は拳をぎゅっと握り、体を前のめりにして歩調を速めた。 「お嬢さんってば」 明瞭な声色に少女は漸く動きを止めた。だがその場で息を切らして立ち止まったまま、後ろを見ようともしない。冷えた空気が上気した頬を撫でる。 その時、少女の右肩に青白い手がしっとりと乗せられた。少女は背筋を凍らせる。 「お嬢さん、私とお話ししましょう」 少女は目を動かして自分の肩を確かめ、固唾を呑み、体を捻るように背後を振り返った。そこには靄のかかったような人影が浮かんでいた。だが瞬く間に輪郭が浮かび上がり、色が溶けたような白装束を纏う黒髪が実体を現した。髪の間から覗く眼光が銀髪の少女を捉える。少女は瞳孔を思いきり見開いてその場に腰を抜かし、服のあちこちが汚れるのも構わず、地を這うように走り去った。 「ぬえには敵わないなあ。どうやったらそんな簡単に人を驚かせられるの?」 田んぼの陰から一部始終を見守っていた小傘は、ぬえに分けてもらった“驚き”に舌鼓を打った。 「ちょっとしたコツと、あとは経験ね」 「ふうん」 小傘は一応の納得を示しながらも、その視線はぬえが指先にぶら下げている小袋に集中していた。中には碁石のような黒いものが詰まっていて、本人はそれを種と呼び、悪戯を仕掛ける度に愛用している。小傘は徐にその袋を指差した。 「それがあったら、私もうまく人を驚かせられるかな」 「そんなに上手くいかないよ」 ぬえは土の盛り上がったところに腰かけたまま、高らかに笑い声を上げた。 「誰だって向き不向きがあるのよ。私は人を驚かせるのが得意で、貴方はたまたまそうじゃなかった。それだけ」 「えー……」 小傘は溜め息のような感嘆を漏らし、がっくりと項垂れた。 「小傘、それは全然悪いことじゃないと思うよ。小傘は周りに好かれているんだからさ。私なんて世間の爪弾きよ」 「好く思ってもらえるのは嬉しいよ。でも、人を驚かすことができなかったらさ、妖怪の意味が無くなっちゃう」 すると、それまで両手を地に突いて寛いでいたぬえが、上体を起こして小傘を真っ直ぐに見つめた。 「じゃあ訊くけれど、妖怪の意味って何?」 「それはもちろん、人を襲ったり驚かせたりすること」 「そう?」 ぬえの目はどこまでも小傘を貫く。小傘は段々と居た堪れなくなって視線を下に逸らした。ぬえの両手は膝元に重ね合わされていた。 「人間の生きる意味がはっきり決まっていないのと同じで、妖怪だって何か使命があって生まれたわけじゃないと思う。人間の側からしたらそうは思えないかもしれないけどね。だから、そう深く考えないで、自分のしたいようにすればいいんじゃない?」 気が付くとぬえは立ち上がり、今しがた人間の少女が通っていた道をじっと振り返っていた。その背中を眺めていると自分の悩みがひどくつまらないもののように思えて、小傘は緩やかに立ってぬえの横に並んだ。 ふと、ぬえは勢いよく飛び立った。小傘はぬえに附いて行けばどこか楽しいところへ辿りつきそうな気がして、すぐさま地面を蹴ってその後を追った。星空の下、二人は流れ星を描くように風を切る。小傘は、このまま消えるように空の果てまで飛んで行ってしまいたいと思った。 だがぬえは突如としてその動きを止めた。小傘も慣性に引かれながらぬえの下へ踵を返す。眼下には、一人の人間が左右を忙しなく見回しながら歩いていた。それを見た小傘は瞬時に理解した。ぬえがここまで来たのは、単に新しい獲物を見つけただけだったのだ。口の端を歪めながら降下するぬえを、小傘はその場にとどまって見送った。そして、遠くに見える掌に収まりそうな人里に心を定め、唐傘を広げてはふわりふわりと風に流れていった。 おわり 『クジャクとユノ』より