霊烏路空ゆで卵つまみ食い裁判
「古明地裁判長、霊烏路空被告のつまみ食いに関する裁判の開廷を申請します」 「ちょっと待って、本当に知らないんだって」 「被告人は静粛に。火焔猫検事の申請を受理します」 円筒形の白い支柱が四隅に建つ大広間にて、一段高いところに座る古明地が声音を高らかに響かせた。辺りは水を打ったように静まり返る。 「では検事団。事件の概要を説明してください」 「はい。昨日の話です。地霊殿において『卵が一つ残らず無くなった』という事案が発生しました。発見者は古明地裁判長、朝食の準備をする時に気づいたとのことです。地霊殿内部の状況を鑑みた結果、ゆで卵を愛して止まない霊烏路被告が犯人の最有力候補としてあげられました」 「裁判長、言いがかりです!」 「おいおい、この期に及んで往生際の悪い奴だ。さっさと吐いちゃいなよ、ちょっとぐらい借りたところでそう卑屈にならなくても」 傘みたいな黒い帽子を被った少女が、火焔猫検事の隣で椅子の背もたれに体を預けていた。彼女が二人目の検事である。 「裁判長。彼女が犯人であると決定付ける証拠があります」 「え」 「ではそれを提出してもらえますか」 「はい」 火焔猫は席を立ち、裁判長の真横まで静かに歩み寄ると白い小袋を手渡した。裁判長は細い指先で袋の口を押し広げ、中を覗く。 「これは……羽ですか」 「はい。こちらは現場で発見したものです。妖力鑑定の結果、霊烏路被告のそれと一致しています」 「うぁっ」 うつほ(霊烏路空)の声がだらしなく響いた。 「このように物証が揃いました。つまみ食いに関する被告人の犯罪性向は言うまでもありません。被告人の罪は疑いようのないものかと」 「そうねえ、いや、そうですね。それでは堅苦しいのも面倒ですし、さっそく判決を」 「ちょっと待ちなさいよ」 凛とした声が大部屋に反響する。それと同時に、うつほの横にいた者が勢いよく立ち上がった。後頭部の大きな赤いリボンが上下に揺れる。 「なんですか。博麗弁護人」 「羽が落ちていた? 住人の羽が家の中に落ちるのは当然でしょう。被告人の性格? そんなの事件とは関係ないわ」 博麗霊夢は裁判長と検事たちを交互に睨みつける。 「裁判長。まさか忘れたつもり? 貴方がやった心理鑑定の結果を」 「あ」 裁判長は粒みたいな口を開けて霊夢を見た。 「いやいや待ってください。心理鑑定ってなんです」 「なんで検事どもに教える必要があるのよ。とにかく、裁判長にお空(くう)の心を読んでもらったわ。で、その結果はどうだったかしら?」 火焔猫検事たちは忙しなく汗を拭ったり互いに目を合わせたりする。うつほはただぽかんと霊夢を見守っていた。裁判長は俯き気味に少しばかり押し黙っていたが、深く瞬き、背筋を伸ばして正面を見た。 「今回行った鑑定は簡単なものでした。私が『貴方は卵をつまみ食いしましたか?』と尋ねます。お空、いえ、被告人には『はい』か『いいえ』で答えてもらいます」 「うんうん」 霊夢は腕を組んで大袈裟に頷く。 「被告人は『いいえ』と答えました。そして……、彼女は嘘をついていませんでした」 検事の二人が一斉に固まった。霊夢はここぞとばかりに身を乗り出す。 「さて。これでもまだお空が犯人だなんて言えるかしら」 「や、その、自覚がない犯行だってあるんじゃないか? 気がついたら食べていたとか」 「だったらその証拠を出しなさいよ。証拠を」 検事は帽子のつばを押さえて苦々しく唇を噛んだ。そうして検事団から声が無くなったのを見て取った霊夢は、ぐるりと裁判長に目を遣った。 「裁判長。この事件に関する有力な証人を用意しました」 「証人? まあ、よく判りませんが、入廷を認めます」 言い終えると同時に大広間の扉が荒々しく開け放たれた。上半身は白一枚で、暖簾のような藍色の丈長スカートを纏う大柄の者が、盃(さかずき)片手に大股で入ってきた。額に生える一本の角が斜め上の天井を見据えている。 「法廷での飲酒は慎んで」 「じゃあ手短に言わせてもらうと」 「待ってください。証人の名前と身分は?」 「あん? 星熊勇儀、地底で鬼をやっている。私が言いたいのは一つだけ。おとといの晩、この屋敷から出ていく人影を見た」 証人の顔は紅く染まっていた。宴会の途中だったのだろうか。言いたいことだけ言って帰ろうとする証人を、霊夢が思いきり引っ張った。 「どんな人影だったのかしら」 「さあ。酒が回っていたもんでよく判らなかったが、そうだな、やたらと速く飛び去ったのは覚えている」 「へえ」 霊夢は口の端を歪め、「ありがとう」と背中を叩いて裁判長の指示も待たずに証人を帰らせてしまった。 「これだけじゃないわ。裁判長、私も証拠を持ってきたの」 「はあ」 目まぐるしい事態の移り変わりに、裁判長は疲れ気味に霊夢に従うばかりだった。検事たちはじっと瞬きを繰り返している。うつほは元からちょこんと座るばかりである。 霊夢が掌に乗せて渡したのは、金髪を腰まで垂らした人形だった。白い前掛けにはきめ細やかなフリルがあしらわれている。 「それは知り合いの魔法使いから借り受けたものよ。それを使って、屋敷に魔力が残っていないかを調べさせてもらったわ。そしたら、裏口近くの窓から台所に至る導線にくっきりと魔力が浮かび上がったわ。まるで足跡みたいにね」 「う、そりゃあ長く住んでいたら魔力が残ることもあるだろう」 「甘いわ魔理沙」 消え入るような検事の声を霊夢が一蹴した。 「まず、その辺に残った魔力は数日もすれば水溜りが蒸発するみたいに消えるらしいわ。そもそも魔力を残せるのは魔法使いしかいない。数日っていうのが気になるところだったけど、それはさっきの証言が補ってくれるわ。で、ここは地底なのよ。地上の妖怪は地底に入ることだって難しい。こんな地底の奥深くまで入り込める魔法使いといったら……、もう挙げるまでも無いかしら」 霊夢はそう言って目の焦点を揃えた。その先にいるのは、黒い帽子を目深に被った検事その人だった。その検事は誰もいない方に目を逸らして薄笑いを浮かべる。霊夢は、隣にいるうつほに視線を向けた。 「お空。いくら鈍いあんたでも判ったでしょう。私が言ってもいいんだけど、勝手な言いがかりを付けられたのはあんただからね。さあ、一思いに言ってやりなさい。本当の犯人は誰かしら」 うつほは力強く頷きながらも、首の裏で冷ややかな汗をかいた。うつほは誰が犯人であるか判っていなかったのだ。けれども、霊夢の仕草から、どの名を言えばよいかは辛うじて理解することができた。うつほは大きく息を吸った。 「うん。卵を盗んだ犯人は――」 「紅茶をお持ちしましたぜ」 「ええ。お饅頭も持って来て頂戴」 「へいへい」 地霊殿の中庭に設けられた木製の白い丸テーブルに、うつほと霊夢が向かい合うように座っていた。検事役だった霧雨魔理沙は一転、罪を償うために地霊殿の雑用を命じられた。 「よかったわね。変な罪を着せられずに済んで」 魔理沙は元から盗みを働くつもりで地霊殿に入り込んだしたらしい。だが目ぼしいものが見つからず、お腹が空いていたこともあって腹いせに卵を持っていったとのことである。残っていた卵は全て地霊殿に返された。 「うん。外の光を浴びた卵はおいしいね」 「魔理沙の手垢が付いているけどね」 「卵が食べたかったのならさとり様に言えばよかったのに」 「そうね」 真剣な眼差しでゆで卵を剥くうつほをよそに、霊夢は肘を突いて頭上を見た。 「お空。今回はたまたま無事に終わったからよかったけど、あんたも自分の無実は自分で言えるようにならないと困るわよ? もっと自分の頭を働かせなさい」 「ゅ?」 霊夢が何か言ったような気がするが、卵に心を奪われて全く耳に入らない。 「まあ、いっか。何かあったらまた私に相談しなさいよね」 霊夢は席を立ち、軽やかに地面を蹴って飛び上がり、うつほに手を振ると流れるように屋根の向こうへ飛び去っていった。帯のような赤い残像が黒色の地下空間を彩る。それを見たうつほは「ありがとう」と叫んだのち、腹の底から一層の食欲が湧いてきて、まだ殻の残っている卵を思いきり口に放り込んだ。 おわり 『男と女房』より