さよならを言えるまで
一 疎らに続く蝋燭の灯りを頼りに、射命丸はゴツゴツと張り出した石材の壁を伝っていた。ここまで来れば誰に見つかることも無いだろう。強張っていた肩を少し緩め、曲がりくねった暗い細道を進む。 ふと、ほんの僅かな香りの粒が射命丸の鼻をくすぐった。終わりの無い廊下に辟易していた射命丸は、鼻腔から奥へ抜ける微かな甘さにすっかり確信して、その歩みを強めた。 緩やかな角を曲がると、分厚そうな鉄の扉が突如として立ちはだかった。射命丸はその扉に寄り添い、耳をひたりとくっつける。思った以上に冷え切った感触に、思わず肩が震える。扉の奥からは何の音も聞こえてこない。射命丸は顔を離し、拳を作って扉を四度叩いた。 「誰?」 少し遅れて、か細い返事が向こう側から伝わる。 「射命丸文です。ほら、あの、前に一度取材に来た者です。ちょっとお話しませんか」 図らずも滑りの悪い口の動きを、射命丸は歯がゆく思った。 暫く沈黙が続いた。やがて、向こうから硬質の足音が近づいてきたかと思うと、小気味の良い金属の音が零れた。鍵を開けたのだろう。今、私と彼女は最も近い距離にいる。射命丸は縦長の取っ手へ慎重に手を伸ばし、ゆっくりと扉を押した。 扉が開くと湿った空気が射命丸の頬を撫でた。次いで見下ろすと、純白のナイトキャップに丈の短い紅の上下を着た小さな少女が、射命丸をじっと仰いでいた。 「お久しぶりです。フランドールさん」 射命丸は背中にじんわりと汗を感じながら、膝を曲げてフランドールに目線を合わせる。その動作の間にも、宝石のような真紅の双眸(そうぼう)は射命丸を捉えて離さない。 「あの、最近何か変わったこととか」 「どうして来たの」 突き刺すような鋭い物言いに、射命丸はその意味を解しきれず返答に窮した。“何しに来た”ではなく“どうして”? 「判っているわ、貴方が何を企んでいるか。けれども私は今のままでいいの。放っておいてよ!」 彼女は語気を強めると同時に果実のような赤い弾を放ってきた。反射的に身を翻す。光弾が下駄の裏を掠め、背後で爆音が鳴り響く。 「出ていって。壊されたくなかったら」 射命丸は直感に従って退(しりぞ)きつつ、少女の顔を改めて見た。その瞳は小刻みに揺れていた。 二 「貴方たちはどこからそんなにやってくるのですか。私としてはありがたい限りですが」 湖の畔で、射命丸は「おーい」と近くの妖精を呼び寄せた。すると一人、また一人と射命丸の下へ集まり、いつしか数えきれないほどの妖精たちが岸辺に溢れ返っていた。 「これではまるで囲まれ取材ですね」 射命丸は斜面に腰を下ろし、妖精たちと肩を並べて取材や歓談に興じた。 おしゃべりに満足した妖精たちがぽつりぽつりと帰っていき、湖畔は元の静けさを取り戻した。霧の湖と呼ばれるこの地も今日は絹が透けるように見通しがよく、橙(だいだい)に染まった空もある程度は視認できる。射命丸は、妖精の言葉で充実した手帖に再び目を向けた。妖精たちはこんなに素直に取材へ応じてくれる。それなのにあの少女は。妖精と吸血鬼を同列に扱うのもどうかと思うが、しかし。 射命丸は、霧の向こうの紅い館に焦点を定めた。射命丸はどうしても、あの少女フランドールを記事にしてやりたいと思った。それも、弾幕を切り取った写真を並べるだけでなく、直接、彼女の言葉を。 射命丸は手帖を胸元の衣嚢に収め、下駄の足ですくりと立ち上がり、少し屈んでから、館目掛けて飛び上がった。 射命丸の気配に門番は気が付いたようだったが、目にも止まらぬ速さで駆け抜ける射命丸を捉えられなかったのか、再び外壁に凭れて頭を垂れた。薄暮に紛れて射命丸は館の裏側へ回り、そこまで来ると広げていた羽を静め、忍び足で、開いたままの扉をくぐった。 メイド服を着た妖精は飴玉をあげると夢中でそれを頬張り始める。射命丸はすれ違う妖精に飴を配り歩きながら、地下へ行き、図書館を避け、さらに地下へ潜り、石造りのひんやりした廊下まで到達した。まるで外界から切り離されたように、ここら一帯は何の気配も感じられない。射命丸は昨日に比べてしっかりとした歩みで暗がりを進み、昨日と変わらない重厚な扉に正対すると、呼吸を整え、扉の表面を叩いた。 「誰」 扉の向こうから、温度の無い問いかけが届く。 「射命丸です」 「用は無いわ。帰って」 明瞭な拒絶に射命丸は言葉を詰まらせたが、落ち着いて息を整えると人差し指を口の下に添え、慎重に言葉を紡ぎ始めた。 「いえ、今日は取材に来たのではありません。軽く雑談でもしましょうよ。貴方だって館に籠ってばかりでは退屈でしょう」 「余計なお世話よ」 「……ならわかりました。では、私が横でひたすら喋るだけ、貴方は私を無視してくださって結構です」 周囲はそれきりしんと静まり返った。 「失敗したかな」 射命丸は石壁の窪みにぽつりと零し、扉に背を向けた。その時、背後で鉄の触れ合う音が響いた。射命丸は逸る呼吸を押さえ、反転し、石板のような扉を押し開ける。その先には、昨日と変わらぬ紅い少女が小さく佇んでいた。 「これをどうぞ」 射命丸は手土産にと、残り僅かな飴の入った袋を渡した。フランドールは無言でそれを受け取り、射命丸に背を向けて部屋の奥へと歩いていった。射命丸は音を立てないように扉を閉め、七色に揺れるフランドールの羽を追った。 フランドールは部屋の真ん中に置かれた一人用の丸テーブルに着いて、徐(おもむろ)に紅茶を啜り始めた。その手つきは明らかにぎこちないものだった。射命丸は壁際に立てかけていた木製の折り畳み椅子を引っ張ってきて、フランドールの斜め左に陣取った。そうして射命丸は改めてフランドールの横顔を見た。自分の横で、この閉ざされた少女がさも当たり前のように紅茶を口にしている。どの記者も避けて通った領域に、こういとも簡単に入り込んでしまうとは。射命丸はしみじみと情趣に浸り、自分に紅茶が無いことを物足りなく思った。 不意にフランドールの目がこちらを覗き、バチリと視線が合った。射命丸はんんと咳払いをしてみせる。 「今日は妖精たちに思いきり取材をしてきたんですよ。あの子たち、あれでいてなかなか興味深いところがありますから。今日なんて、ちょっと呼びつけたらわんさかわんさか、泉のように溢れてくるんですよ。びっくりしましたね。貴方たちどこから来るの? 『妖精は畑で採れる』ってことですか? なんて話をするんです」 フランドールは顔も向けず紅茶の味わいに専心しているようだが、よく見ると、射命丸の息継ぎに合わせてフランドールもピタリと動きを止める。 「そういえばこの館にも妖精たちがいますよね。一人前にメイド服で着飾っておもしろいです。あの子たちもきっと、見かけ以上に独特な感性を携えていると思います。たまには話しかけてみてもいいかもしれませんね。妖精たちのおかしなところが見えますよ」 「貴方の方がおかしいわ」 フランドールは目線を逸らしたまま、初めて射命丸に返事をした。射命丸は思わず前のめりになりかけたが、努めて冷静に襟元を正す。 「新聞記者なんて物好きでないとやっていられません。地下生活だって物好きでないと、でしょう?」 二人の視線が再び重なる。けれどもフランドールの澄んだ瞳には、若干の砂糖が溶け込んでいた。 「よく喋る天狗だわ」 フランドールはぷいと顔を背けて、そのまま紅茶を口に含んだ。 「天狗ですので」 射命丸は少し深めに座り直した。 三 射命丸は誰もいない隙を狙って滝の裏へ回り、横穴に坐して清流に耳を傾けた。御簾のような滝を越えて降り注ぐ日光は、若葉の香りを存分に含んでいる。目を閉じると、洞内にくぐもって響く滝の音だけが感覚を支配する。上も下も無い黒の空間に落ちていくような錯覚を覚え、射命丸は思わず歯を食いしばった。これならまだ賑やかなものの、何の音も届かないところなら――。 「文(あや)、そんなところで寝ていたら貴方も新聞も地に落ちるわよー」 息混じりの囁きが射命丸の左耳を生ぬるく撫で付けた。うっすら目を開けると、薄手のブラウスの少女が、二つ結びを肩まで垂らして射命丸の横に屈んでいた。 「私だってたまには落ち着きたいときもあるのよ」 射命丸は伸びるように地面を蹴り、空洞を出て上流の岸辺に身を移した。振り返ると、かの少女が「ちょっと待ってよ」と言いたげに口を尖らせて迫ってくる。黒と紫の瓦模様に彩られたスカートが旗のようにはためくのをよそに、射命丸は草の上に腰を下ろし、高下駄を履いた足を透明な川に浸した。濁りの無い冷たさが足先から全身を清めていく。 「というかあんたさー、のんびりしていたら私が全部かっさらっちゃうよ。よさそうな話題をね」 「はたて、私が何もしていないと思った?」 射命丸に肩を寄せる少女はたては、不思議そうに口を開いて顔を覗き込む。 「じきに見ていなさい。平和なところで平和な記事を書いている貴方には到底届かないわ」 射命丸は口の端を不敵に歪め、視線をはたてに押し返した。 思いのほか軽快な足取りから、射命丸は、暗がりの廊下を進むのに幾分か慣れていることに気づいた。そうして鉄の扉まで辿りつくと、フランドールは素直に射命丸を迎え入れてくれた。 「お久しぶりです」 「昨日会ったばかりじゃない」 「一日千秋の思いで待ちかねておりました」 「相変わらずね。私には貴方が判らないわ」 テーブルに着くと、射命丸の席にも紅茶が添えられていた。 「これは?」 「メイドに頼んでもう一つ持ってきてもらったのよ。明日も来るって言ったのは貴方でしょう?」 「私が来ることを明かしたのですか?」 「『一度に二杯飲みたい』で充分よ」 花柄で彩られた白いカップに触れると、地下の空気と同じくらい冷え切っていた。フランドールが飲むのに合わせて半円形の取っ手をつまみ、たゆたう波紋を少し眺めてから、カップの縁をそっと口元へ寄せた。棘の無いぬるさと共に、舌先を溶かすような甘みが口から喉へ染み込んでいく。 ふと気になってフランドールを見ると、彼女のカップもやはり湯気が立っていなかった。 「ここのメイドは、どのくらいの頻度でこの部屋へ来るのですか?」 「二度の食事どきには必ず来るわ。それ以外は……、私が寝ているときを狙って部屋に入っているみたい。起きるといつも部屋が綺麗になっているの」 室内は極端に整然としていて散らかる様子も想像できない。隅に立つ焦げ茶色の棚などは随分と風通しのよさそうな様子で、蝋燭の灯りで棚の影が妖しく揺らめいている。 射命丸はカップを置き、円卓の斜め前に座るフランドールを再び見た。昨日とは違い、適度に力の抜けた様子で紅茶を片手に遠くの壁を眺めている。ふわりと被る白いナイトキャップ、その横にはハンカチみたいな紅のリボンが付いていて、射命丸の視界をチラチラと刺激する。片付いた部屋と彼女の振る舞いを見ているうちに、射命丸にはある推察がふつふつと湧き上がってきた。きっと自分の予想は間違っていない、できることならこの思いを一息にぶつけてしまいたい。それでも射命丸はそのじれったさをおくびにも出さず、努めて素っ気ない口調で切り出した。 「貴方は、吸血鬼なんですよね」 フランドールは、やや張りつめた表情で射命丸の方を向いた。 「妖怪たちが集まって棲んでいる山がありまして、私はその一員なんですよ。で、山の社会は割と上下関係が厳格なのですが、その昔、鬼がその頂点に君臨していたんです。そりゃあもう私たち天狗などでは束になっても敵わないような方々で、相当に扱き使われたものです」 フランドールは口を結んで射命丸を見つめる。 「だからといって悪いことばかりでは無かったのですが、今でも鬼に怯える者は少なくありません。それに比べて貴方は……、いや、鬼という字しか共通点がありませんが……、貴方みたいな“穏やかな”方が上司であればよかった」 「私のどこが穏やかなのかしら」 俄かにフランドールの目つきが鋭くなった。射命丸は、“穏やかな”と言うところでうっかり力んでしまったのを悔やみつつ、それでも目線は逸らさなかった。 「いいえ、貴方は穏やかに違いありません」 「貴方、私のことをちゃんと理解しているのかしら」 「ええ把握していますとも。それに、こうして何度かお会いして確信しました」 射命丸はフランドールの瞳を離すまいと、テーブルの下で拳を握り締めた。 「貴方はもう狂気に囚われてなどいない。ただ、周りが貴方を狂っているとみなしているから、そして、在りし日の狂気にまみれたこの部屋で暮らしているから、貴方は過去に引き摺られて狂乱を演じているにすぎない」 辺りは水を打ったように静まり返った。布の擦れる微かな音さえも部屋に響き渡る。射命丸は固唾を呑み、フランドールを見つめ続ける。 「やっぱり」 静寂を破ったのは少女の囁きだった。 「そうなのね、そういうことなのね。お姉様の口癖を借りるならば、これが運命ってところかしら」 フランドールは下を向き、ぽつりぽつりと呟いていく。射命丸はじっと押し黙り、次の言葉を待った。 「貴方、新聞記者なのよね」 顔を上げ、掠れた声で問いかけてくる。真紅の瞳はいつか見たのと同じように、左右に忙しなく揺れ動いていた。 「ええ」 「いつも、あちこちを飛び回っているの?」 「ええ」 「やっぱり」 フランドールは避けるように目線を逸らし、テーブルに突っ伏した。射命丸は喉の渇きを感じたが、紅茶に手を伸ばすのは憚られた。 「悪いけれど、今日はもう帰って。また明日来てもいいから」 射命丸はそれ以上どうすることもできず、促されるままに席を立った。テーブルに残された少女の紅い姿は、蝋燭に見下ろされた部屋の真ん中にあって、とても小さく映った。 四 お土産にと先日より多めの飴を調達した射命丸は、それを詰めた巾着袋を腰にぶら下げて、慣れ親しんだ裏口をくぐり紅魔館へ忍び込んだ。 血のように紅い絨毯が伸びる一階の廊下には、普段と違って妖精メイドの姿が見当たらない。休憩かそれとも会食か、射命丸は別段気に留めず廊下の角を曲がろうとした。 「止まりなさい」 射命丸は咄嗟に床を蹴って後ろへ飛び退いた。射命丸がいたところを、銀色に輝く小さな何かが通り抜けて壁へ刺さった。 「止まれと言われて止まる妖怪がいるものですか」 「こっちよ」 何の前触れも無く、背後から耳元へ息が吹きかけられた。射命丸、今度は前に飛び退き、素早く反転して身構える。夜空のような色をした細身のワンピースに白い前掛けを重ね着した長身の少女が、両手にナイフをいくつも挟んで射命丸を睨んでいた。 「これはこれはメイド長。ご挨拶が遅れました、わたくし」 「御託はいらないわ。貴方、何の目的で侵入したの?」 「どうやって私に気づいたのです?」 「おいしそうに飴を食べる妖精たちが、それはそれは丁寧に教えてくれたわ」 「やはり餌付けは下策でしたか」 言葉を交わす間も、このメイドは一切目線を外そうとしない。射命丸は、どうやら素通りするわけにはいかないようだと覚悟を固めた。 「もう一度問うわ。貴方、何が目的なの?」 「そうですね。貴方に出入りを認めてもらうのが目的でしょうか」 言うや否や、目くらましに青の弾をばら撒いて飛び上がり、メイドを背にして滑るように廊下を進む。後方から無数のナイフが飛び込んでくるのを、射命丸は振り子のような動きで躱(かわ)していく。 「逃げていては許可を与えられませんわ」 お得意の時間操作か、メイドは射命丸の前に立ちはだかり、あらゆる角度からナイフを放つ。夥しいナイフが射命丸を球状に取り囲んだ。 「美しく並べましたね。じゃ、記念に一枚」 射命丸は素早く懐からカメラを取り出し、迫り来る正面のナイフに焦点を合わせる。乾いた撮影音と共に、前方の一角が綺麗に切り取られた。すかさずその間隙をくぐり抜ける。 次の角を曲がると広々とした空間に出くわした。右方には大きな両開きの扉が鎮座している。吹き抜けの天井にぶら下がるシャンデリアがいかめしく輝く。 「お帰りはそちらからどうぞ」 追いついたメイドが、その大きな扉に向かって一本のナイフを投げた。漆塗りの表面に銀色が深々と突き刺さる。 「いえ、今日はこの立派な玄関を拝見したい気分だったんですよ」 射命丸は一息に天井近くまで舞い上がり、後を追ってきたナイフたちを軽くあしらうと、シャンデリアの周囲をぐるぐると旋回し始めた。それに合わせ、指先から水のように弾を零していく。目にもとまらぬ速さで円弧を描く射命丸を中心に空気の渦が生まれ、先の尖った緑色の粒が暴風雨のように床へ降り注ぐ。射命丸は全力を尽くして飛びながらも、冷静に眼下の様子を見た。メイドは瞬間移動も総動員して弾を避けるのに精いっぱいで、とうとう、よろめいた彼女の肩に粒がぶつかった。その粒は着弾すると同時に破裂し、中に詰まっていた空気が弾けてメイドを壁に叩きつけた。 射命丸は徐々に旋回の速度を落とし、ゆっくりと彼女の下へ降り立った。 「私を迎え入れる気になりましたか?」 メイドは顔を歪めて壁際にうずくまっていたが、やがて壁に手を突いて立ち上がり、服に付いた埃を軽く払って射命丸を見た。 「修理代は貴方の上司に請求しておきますから。それと、何が目当てなのか教えなさい」 服の端を焦がしても、メイドは依然として毅然とした態度を射命丸に向ける。 「地下のお嬢様に会いたいだけですよ」 「妹様に?」 メイドは露骨に怪訝な表情を浮かべた。 「くれぐれも、無用な刺激を与えないでください」 「善処します」 射命丸は恭しく礼をして、それから、ふとした思い付きで飴玉を一つ渡し、メイドのところを後にした。 廊下にはいつものように妖精たちが溢れ返っていた。射命丸は、もはや必要のないことだと理解する一方、妖精たちに飴を配り回って地下へ向かった。そうしていると、ある階段を境に妖精メイドの姿がぱったりと途絶えることに気づいた。射命丸は今しがた降りたばかりの階段を振り返った。絨毯も無く石畳が剥き出しになっているその階段は、ところどころに黒い染みがこびりついている。真新しい汚れは一つも無かった。 「こんばんは。砂糖菓子の射命丸です」 軽やかに扉を叩くと足音がパタパタ近づいてきて、射命丸が手を掛ける前に扉が開いた。 「こんばんは」 見かけこそ数日前と変わらないが、表情はすっかり柔らかくなっていた。射命丸はいつもの席に腰を下ろし、机の中央に巾着袋を広げた。控えめな甘い香りが室内に漂う。 「ねえ。外ってどんなところ?」 フランドールは粉たっぷりの飴玉をひょいとつまんで頬張り、射命丸に身を乗り出す。昨日までとはがらりと変わった態度に射命丸は面食らったが、覚られないよう涼しげな笑顔を浮かべ続ける。 「そうですね。空気がおいしくて、あらゆる束縛から解放される気持ちの良い場所ですよ」 「空気がおいしい? 空気って何の味もしないじゃない」 「そう思うでしょう。けれども、昼なら太陽の光が、夜なら月や星の明かりが空気に味を付けるんです」 「へえ。太陽や月や星って自然の調味料ね」 「そうなのかもしれません」 射命丸は紅茶を手に取り、飴でべたついた口の中を潤した。 「あのね。いや、きっと貴方がそうなのでしょうけど」 つと、フランドールは声色を落とし、居住まいを正した。蝋燭で彼女の輪郭が揺れる。 「私、このあいだ夢を見たの」 フランドールは膝の上に手を組み、視線を手元に寄せる。 「部屋に突然白い人がやって来て、私を部屋の外へ引っ張ろうとするの。私は思いきり嫌がるんだけど、その人は思いのほか強い力で私を引き寄せて、で、結局館の外まで連れ出されてしまうの」 射命丸は息を潜め、彼女の言葉を洩らすまいと傾聴する。 「外は絵本で見たまんまの花畑が広がっていたわ。どこを見てもきらきら眩しくて、白や黄色の小さな蝶が私の前をひらひら飛んだりするの。けれど、私を引っ張ってきた白い人はいつの間にかいなくなっていて、私は取り残されてしまったわ。そこで目が覚めた」 フランドールは俯き気味のまま、唇を少し噛んだ。 「それから何日か経ったある日、貴方が私のところへ来たの」 きっぱりとした口調と共に、まっすぐな眼差しで射命丸を見た。その目はどこか不安の色が混じっていた。 「私がその白い人ではないかってことですか。そうですね。白い服を着ていますし」 「そうよ。私びっくりしちゃったもん」 少女は慎み混じりの笑みを浮かべ、すぐに表情をこわばらせた。 「私、怖かった。それまで外のことなんて大して興味が無かったのに、その夢を見てから、急に外が気になって仕方が無くなったの。けれども、外に触れるのを嫌だと思う自分もいる。だってお家の中で十分だから。お姉様が怒るから。夢のような淋しい思いをしたくないから。もう自分でもどうしたらいいかわからなくなっちゃって。久しぶりに壊しちゃった」 射命丸は改めて、部屋の物が疎らであるのをはっきりと感じ取った。 「今はどうなんですか?」 「外のことを知りたくてしょうがないわ。貴方のせいよ」 フランドールは顔を上げ、人形みたいに端正な顔をくしゃりと崩した。 「ならよかった」 射命丸は肩を緩め、喉を湿らせる程度に紅茶を飲んだ。 「貴方がそういう夢を見たのは、他でもない、貴方がそれを望んでいるからです。前にも言った通り、貴方は外へ出るのにもはや何の差し障りもありません。この部屋に縛られる必要なんてない」 フランドールは瞳を震わせながら、射命丸を見つめて離さない。 「私はその白い人ほど強力に先導できるかわかりませんが……、きっと最後まで傍にいますよ。そんなに飽きっぽい性質(たち)でもないので」 射命丸は心地よい緊張を感じながら、この小さな少女を見つめ返した。フランドールは静かに頷き、指先で目尻を拭う。 「じゃあ、明日また、迎えに来てくれる? 必ず準備しておくから」 「ええ。では明日、近くに散歩でもしに行きましょう」 フランドールはカップを両手で抱え、口元へ近づけるが嗚咽が漏れて上手く飲めず、雫をぽたぽたと零した。それを見た射命丸は立ち上がり、そっとフランドールの横に寄り添って、硝子に触れるような優しい手つきで頭を撫でた。 五 射命丸は使われなくなった山寺を訪れ、板張りの廊下を軋ませながら奥へ向かった。寺の裏手は山の斜面に突き出すような形になっていて、見通しがよく、低地の人里などが一望できる。射命丸は木製の欄干に凭れて晴れ渡る外を眺めた。 「文。こんなところにいたんだ」 いつの間にやら、涼しげな恰好のはたてが射命丸の隣に並んでいた。 「あんた最近全然取材していない気がするんだけど、本当に大丈夫?」 はたては手すりから身を乗り出し、射命丸の顔をぐぐぐっと覗き込む。 「心配無用。誰の手にも届かなかった真実が、明日の一面を盛大に飾る予定だから」 「へえ。念写してもいい?」 「絶対にやめて!」 いたずらっぽく笑うはたてに対して、射命丸は柄になく声を荒げた。 「もう、そんな本気にならなくてもいいじゃない」 はたては子供みたいにむくれてみせる。 「けれども、何かあったら私に相談してよね。何を追っているかは知らないけど、あんた、のめり込み過ぎている気がするから」 二人は暫く、暖かな日差しに揺れながら遠くの森や川を眺めた。だがそのうち射命丸は居ても立ってもいられなくなって、抜けるように広がる青空へ飛び上がった。 メイドに出入りの許可を得た射命丸は、堂々と館内の道筋を吟味した。そうして納得のいく順路を頭の中に描くと、射命丸はすぐさま階段の奥深くへ潜り込んだ。 石材で四方を囲まれた廊下は、冷え切った風を以て射命丸を出迎えた。射命丸はぼんやりと考えを巡らせつつ、右へ寄ったり左へ寄ったりして暗がりを進んでいく。そのうち、なだらかな曲がり目を越えて見慣れた扉に辿りついた。両脇の蝋燭に照らされ、扉の輪郭が現れたり消えたりする。射命丸は弾けそうな鼓動をぐっとこらえ、手の甲で扉を丁寧に叩いた。すると間髪入れず、ころりと鍵の開く音が聞こえてきた。 「さては入り口で待っていましたね、フランドールさん」 「フランって呼んでよ」 扉を開けた射命丸は開口一番、フランの頬を指でつつく。よく見ると、黒色のローブに全身がすっぽりと収まっていた。 「その恰好は」 「これなら見つかりづらいでしょう?」 フランは余った袖の先をぶらぶらと振ってみせる。 「バッチリ。心の準備もできているようですね」 するとフランは、あどけない笑顔を俄かにしぼませた。 「いや……、ちょっと待って。その前にお茶にしましょうよ」 フランはくるりと背を向けて、逃げるようにテーブルへ歩いていった。その慌てた様子を見ると射命丸は却って落ち着いた気持ちになって、保護者のような心持ちで後に続いた。 テーブルの上には昨日の飴玉がまだ残っていた。フランが徐(おもむろ)にローブの帽子を外す。その下にクッションみたいなあのナイトキャップをしっかりと被っていたものだから、射命丸は思わず吹き出してしまった。 「その白いのはいらないでしょう」 「だって今まで毎日被っていたから、無いと頭が気持ち悪くて困るわ」 「そもそもそれは寝るときに使うものですよ。まあいいでしょう」 軽快に言葉を重ねる射命丸の心は実に晴れやかだった。 「どうです。初めて外の世界に触れようとする今の心境は」 射命丸はカップを挟むように両手を組む。一方、フランは頬を落としてやや伏し目がちだった。 「あのね。貴方だから正直に言うけれど……」 二の句が継げないようで、フランは弾くように唇を離したりくっつけたりする。 「いいですよ。ゆっくり、貴方の呼吸で話してください」 柔らかな眼差しを意識して、フランをそっと促す。覚悟を決めたのか、フランは肩を上げて息を深く吸い込んだ。 「私、やっぱり外に出たくない」 フランは零すようにそれだけ言うと完全に下を向いて、テーブルの木目を指でなぞり始めた。 「本当に?」 「だって怖い。お姉様に見つかるかもしれないし、外でひどい目に遭うかもしれない。別に外なんかに関わらなくても生きていけるから」 時々、悶えるように眉間にしわを寄せる。射命丸は、この少女の強張りをじんわり溶かしてあげたいと思った。 「フラン、貴方はやはり真っ当な感性の持ち主ですね」 フランは面食らったように射命丸を見上げる。 「誰しも、未知のものに触れるときは怖くて仕方のないものです。それを乗り越えて初めて、自分の世界が広がっていくのですよ。貴方は必ず、外へ出てよかった、恐怖に勝ってよかったと思うはずです。私が保証します」 フランは熱を帯びた眼差しで射命丸を一心に見つめる。 「私これでも新聞記者ですから。記者というのはですね、皆さんの知らない世界をお見せする仕事なんです。図らずも貴方のお供にはピッタリですね」 終わりに「気取り過ぎましたか」と付け加え、射命丸は照れ隠しに髪を押さえた。フランは時が止まったように射命丸を見入っていたが、やがて、小さく頷いた。 「ありがとう。本当はまだちょっと迷いもあるんだけど……」 射命丸から一度目を逸らし、首を左右に振ってみせる。そうして再びこちらを向いたフランは、整った顔立ちに上品な笑みを携えていた。 「ちゃんと私をエスコートしてよね。貴方だけが頼りなんだから」 「仰せのままに」 射命丸はゆらりと立ち上がり、執事のように片手を添えて礼を送ってみせる。それから面を上げるとフランとバッチリ目が合って、どちらからともなく、声を上げて笑った。 射命丸は一旦部屋を出て、頭の中で練った順路を外まで辿った。目論見(もくろみ)通り、道中に妖精その他の姿は見当たらない。射命丸はすぐに地下へ戻り、テーブルで待つフランの手を取った。 「さあ、行きましょう」 フランは少しばかりテーブルで固まっていたが、射命丸の手を握り返し、寄り添うように立ち並んだ。枕やクッションを詰めて誰かが寝ているように見立てたベッドを横目に、二人はひっそりと部屋を抜け出した。 暗くて足下の覚束ない階段を、一段ずつ踏みしめるように上っていく。色褪せた地面は紅の絨毯へ変わり、周囲は徐々に明るさを増していく。 「館の中ならたまに歩き回るわ。まだ平気」 図書館の横を通り過ぎると、繋いでいた手がぎゅっと締め付けられる。そして、最後の階段を着実に上りきった。 「それにしてもこの館、殆ど窓が見当たりませんね。せっかく一階まで来たのに感慨もありゃしない」 ふと横を見下ろすと、フランはすっかり口を一文字に結んでいた。 「大丈夫です。じっとしているままに外へ出られますよ。必ず、手を離さないで」 撫でるような声色で宥めつつ、射命丸にとって見覚えのある紅い角を左へ曲がる。その先に、銀色の人間が柱のように突っ立っていた。 「あ」 「あ」 射命丸と対手(あいて)の少女は同時に声を洩らした。突然の遭遇に、射命丸は頭が白黒して言葉を発せない。なぜ? 油断して気配を見逃した? 「館を闊歩するだけでは飽き足らず……、新手の誘拐ですか?」 少女は汚れ一つ見当たらない前掛けを揺らし、即座にナイフを両手に構えた。 「待ってください。決してフランを連れ去ろうとしているわけでは」 「『フラン』?」 メイドはすかさず目を光らせた。射命丸は、どうにもうまく躱せない自分に心の中で地団太を踏む。 「もう結構。妹様もご一緒に、お嬢様のところまで来てもらいますからね」 「まあそう急がなくても」 いつもの調子で振る舞おうとするが、どうしてもその場しのぎにしかならない。頭を抱えてうずくまりたい衝動に苛まれる。 「咲夜」 不意に頭の混線を断ち切ったのは、先ほどまで傍らで縮こまっていた少女だった。 「ちょっとお出かけしたいの。一刻(二時間)も経たないうちに帰るわ。いいでしょう?」 姉を髣髴とさせる毅然とした口調だったが、その顔は石のように強張っている。このまま放ってはおけない。 「この通り、彼女は自ら外へ出たいと言っているのです。私はその手助けをしているに過ぎません。どうか、彼女の意思を尊重してくれませんか」 射命丸は念を込めて、ビードロのように青いメイドの瞳を見つめた。フランと握り合わせた手が、互いの汗でぐっしょり濡れる。すると、目の前のメイドはナイフを手際よく仕舞った。 「私はお仕えの身ですから……、妹様がそうおっしゃるのなら、止める理由はどこにもありません」 予期していたのとは違ってあっさりと引き下がるメイドに、射命丸は拍子抜けして返し手を見失った。メイドは目線を斜め下に落とし、大きく溜め息をつく。 「あーあ。この場を離れてしまったら、妹様を見かけたことなんてすっかり忘れてしまいそう。お嬢様への報告も果たせないなんてメイド失格ですわ」 射命丸とフランは同時に目を合わせる。そうして、安堵に満ちた笑みを浮かべた。 「妹様お気をつけて。それとその御恰好、天ぷらの衣みたいでとてもお似合いです」 その言葉につられて、射命丸はフランの全身をしげしげと眺める。紅の壁に黒いローブの輪郭がはっきりと浮かび上がっていて、射命丸は思わず苦笑を洩らした。 メイドと別れると幾分も無く、だだっ広い玄関へ辿りついた。天井のシャンデリアは紅の空間に妖しげな光を添えている。二人は、木の幹のように茶色い大きな扉に正対した。 「さて、貴方はこの扉をくぐったことがありますか?」 「無いわ」 「では、この扉が開いているのを見たことがありますか?」 「それも無いわ」 「よろしい。……今から始まるのはまたと無い大舞台です。心の準備はよろしいですか?」 「もう、早くしてよ」 フランはじれったそうに、繋いだ手を前後に振ってみせる。 「では本当に開けますよ」 「うん。開けるときは開けるって言ってよね」 そこまで言って、二人は再び正面を向いた。扉の隙間から空気が細々と漏れている。 「行きます。せーのっ」 その瞬間、射命丸は扉に触れていた右手を思いきり押し込んだ。と同時に扉の奥から風が舞い込み、頭髪を乱暴にかき上げる。隣ではフランが瞼を閉じて頭を押さえていた。 ひとしきり風が止んで前を見ると、黒々とした門へ続く紅い道の向こうに、今にも落ちてきそうな満天の星空が広がっていた。 「大丈夫、窓から外を見たことはあるから」 「ええ。行きましょう」 二人は互いに呼吸を合わせ、内側の足を一緒に踏み出した。 地面に跳ね上げられているような心持ちで、思いのほか軽快に門への通りを歩いていく。 「外ですよ外。外にいるんですよ」 「判っているわ」 射命丸の囁きに、フランは呆れたような笑みを零す。 「あれ射命丸さん……、ってえええ!?」 門の横で待ち構えていたのは、若葉色の華人服を風に揺らす長身の少女だった。 「美鈴、出かけるわ。門を開けて頂戴」 ここぞとばかり、フランは威厳たっぷりに要求してみせる。美鈴は当初瞬きを繰り返すばかりだったが、正気を取り戻したのか、慌てて門を引き摺り回した。 「はいどうぞいってらっしゃいませ! ……どうぞご無事で」 二人は一度立ち止まり、美鈴に手を振ってから再び正面を向いて、館の境界を踏み越えた。 外壁の角を曲がると、辺り一面に黒色の湖が広がった。中央に映る月が波紋に揺れる。月明かりに溶かされたのか、霧はほとんど見当たらない。 「これが湖です」 「さすがに知っているわ。家の中から見えるもの」 二人は湖の畔をなぞるように歩いていく。 「あの妖怪は何?」 「木々が風に揺れているんですよ。暗いとそんな風に見えますね」 「あの子供は」 「夜雀ですね。夜によく出ます」 フランは立ち止まったり屈んだりして、遠くに見える影から足元に生える草にまで果てない興味を示す。射命丸はそれがおかしくておかしくて、一つ一つ答えながら始終顔を綻ばせた。 湖の半周を踏破した頃、射命丸はふと思い出したことがあって、暗がりの草花に目を奪われているフランを呼び寄せた。 「せっかくだから写真でも撮りませんか?」 「そんなこと言って、私のことを記事にするつもりでしょう」 「鋭いですね」 フランはむくれた表情を浮かべながらも、湖を背景にもう構えを作っていた。そんなフランを全身で一枚、胸から上で一枚、横顔に寄せて一枚、あちこち角度を変えてはフィルムに収めていく。 「すっかり仕事の顔になっているわよ」 「すみません、つい」 「それよりさ、貴方も一緒に映ろうよ」 フランに促された射命丸はカメラを台座に備え、時限装置を仕掛けると急いでフランの下へ駆け寄った。体を前に傾け、フランと肩を並べて歯を覗かせる。直後、乾いたシャッター音が二人を切り取った。 二人は再び歩き出し、路傍の草や周囲の景色に寄り道を繰り返した。そうしているうちに、かの紅い館がもう間近に迫っていた。夜が深まるにつれて肌寒さが首筋から全身に伝わり、射命丸はぶるりと身を震わせた。 「いい機会ですし、ちょっと空を飛んでみませんか?」 「そんなことをしたらお姉様に見つかってしまうわ」 「大丈夫。今の貴方はどこからどう見ても宵闇の妖怪です」 フランの下に屈み、隙間風が入らないようにローブの裾を整えてあげる。 「羽が隠れて飛べないわ」 「もともとその羽では飛べないでしょう」 フランの正面に手を差し伸べる。フランは「しょうがないわね」と呟いて、綿毛を掴むようにその手を取った。二人はどちらからともなく目を合わせ、頷きを交わし、息を揃えて柔らかな地面を蹴った。木々の高さを越え、館の時計塔を飛び越え、辺りには何も遮るものがなくなった。星空から大気がとめどなく溢れているかのように、辺りはひんやりと澄み切っている。 「気持ちいいでしょう」 「ええ。ラムネみたいにおいしいわ」 射命丸はふわりと手を離し、その場で宙返りをしてみせる。黒装束の少女も後に続く。高空へ舞い上がった射命丸が指先で呼び寄せると、挑むような目つきで飛び込んでくる。二人は月の下で揺れるように飛び交った。 興奮気味に息を乱しながら、射命丸は館の裏へ降り立った。叢からジーと単調な虫の声が聞こえてくる。ふと空を仰ぐがフランの姿が見当たらない。振り返ると、フランは道端にしゃがんで草をぎゅっと握りしめていた。射命丸はフランの横に腰を落とし、膝を抱えてフランの顔を覗いた。 「ねえ。また、外に出られるかな」 「もちろん。いずれ、誰もが貴方のことを理解してくれますよ」 「だといいんだけど」 フランは草を見つめたまま、ためらいがちに言葉を紡ぐ。射命丸は何を言うわけでもなく、少女の横に寄り添って湖を眺めた。 「文(あや)」 突然初めて自分の名前を呼ばれたので、射命丸は俄かに拍動を乱しつつフランの横顔を見た。どこまでも透き通る紅い瞳に、月の明かりを存分に溜め込んでいる。 「明日も明後日も、その次の日も、私と一緒にいてくれる?」 射命丸はその言葉の意味を十全に理解して、すぐには答えられなかった。 「それとも、やっぱり私は取り残されてしまうの?」 その淋しげな響きに、射命丸は胸の奥を掴まれたようにキリキリと痛みを感じ、余計に切なくなった。 「大丈夫。一人になんてさせませんよ」 射命丸はただ慰めの言葉しか掛けてやれず、堪らなくなって、装束に包まれた小さな体躯を強く抱きしめた。 六 射命丸は全身を襲う倦怠感に任せて、山の拓けた一角にべたりと寝そべった。綿のような雲が、そよ風を受けてのどかに流れていく。無遠慮な眩しさに耐えかねて、射命丸は目を閉じようとした。 「あーや、何を萎(しお)れているのよ」 紫のリボンで長髪を左右に束ねるはたてが、太陽を遮るように覗き込んできた。射命丸は顔を右に逸らす。 「こんなところで転がっていてもつまらないわよ。ほら、ちょっと山を降りて気分でも変えようよ」 「嫌だと言っても帰ってくれないんでしょう?」 「もちろん」 射命丸は全く気が進まなかったが、観念して、はたての手を借りて重い体を起こした。 二人は並んで昼下がりの人里へやって来た。行き交う人々は日常の営みに身を委ねているのだろう。射命丸は周りから切り離された心持ちになって、往来の足跡に視線を落とす。その間、はたては無言で射命丸の横を歩いていた。 はたてに促されて角を曲がると、周囲の景観にそぐわない煉瓦造りの平屋が視界に際立った。豆を燻した香ばしい風が漂ってくる。はたてが扉を開けると、木片のように乾いた鈴の音が焦げ茶色の店内に響く。はたては射命丸に振り返り、向こうの座席を指差した。 席に着き、互いに珈琲が届いたところで射命丸ははたてをまじまじと見つめた。 「どうして私を呼び出したの」 「そりゃだって、何日も前から不自然な様子だもん。今日だってあんたの言っていた記事が出ないから変だなあって山をあちこち探し回って、それであんたを見つけたたとき、ついにおかしくなったと思っただけよ」 はたては実に素っ気ない様子で珈琲を口に含む。けれどもカップを持つ手は少しばかり震えていた。 「それは余計な心配をかけたわね。けれども、ちょっと疲れただけ」 「文。私、相談してって言ったよね」 はたてはテーブルに置いたカップを握りしめ、射命丸を遮る。見合わせた二人は、互いに言葉を取り零した。向こうで食器を洗う音がいたずらに響く。 「別に、嫌だったら無理に話す必要はないわよ。けれども、文がちょっとでも楽になるんだったら、私に打ち明けてほしいな。ほら、あんたがそんな調子じゃあ張り合いがないのよ」 後半になるとはたては照れ混じりに頭を掻き、再び真面目な顔になると徐(おもむろ)に珈琲を手に取った。射命丸は揺れる心のままに目を泳がせていたが、らしくない、心の中で頷いて覚悟を固めた。 「はたて」 改めてはたてを見据える。相変わらず未熟で子供っぽい顔つきをしているが、その奥には筋の通った心がはっきりと見て取れた。 「不思議な縁があって、違う世界の誰かに出逢ったとする。その者は助けを求めている。私はその者を助ける。その者は私をかけがえのない存在として必要とするようになる。けれども元々何の関わりも無い私では、その者を真の意味で救うことはできない。私はどうすればいい?」 淡々と語るような口調から、だんだんと熱を帯びてはたてに訴えかけた。はたては暫く俯いて唸っていたが、やがて納得したように頷くと、再び面を上げた。 「文。詳しい事情は知らないから、その話の限りで二つ言いたいことがあるんだけど……」 「何?」 「それってさ、その世界の誰かに後を任せたらいいんじゃない?」 迷いの無い言葉に、射命丸は心の角を針で突かれたような気がして、思わず唇を噛んだ。 「そんなことぐらい、やたらと頭の切れるあんたなら気づいているでしょう?」 射命丸はカップに手を伸ばそうとして、指先が湯気でじんわりと湿ったところで再び手を引っ込めた。 「それでもう一つ気になって。……あんたこそ、その相手が名残惜しいんじゃないの?」 その言葉を聞いた瞬間、射命丸は身を乗り出して否定したい衝動に駆られた。だが、寸前のところでそれをぐっと呑み込む。はたてはそれ以上何も言わず、じっと射命丸を待つ。射命丸はどうにも涸れたように声が出なくなって、今度は躊躇わずに珈琲を引き寄せ、今日初めてそれを口にした。仄(ほの)かな酸味が舌の根から喉の奥へじんわりと染み渡る。その瞬間視界が急に明瞭になって、射命丸は店内をぐるりと見渡した。遠くの席では何組かの人間が、決して騒ぎ立てることの無い様子で何やら言葉を交わしている。入り口の棚に添えられた名も知れぬ二輪の赤い花が、春らしい瑞々しさを携えて扉越しの太陽を仰いでいる。射命丸は頭の靄が次第に消えていくのを覚え、緩やかに突き動かされるような心持ちで口を開いた。 「最初は、ただ取材がしたいだけだったわ」 射命丸はテーブルに肘をついて向こうの白い窓を見た。 「彼女はどこまでも可哀そうに見えた。たまたま私が彼女の環境を変えられる立場にいたから、そのときの勢いで後先考えずに手を差し伸べてしまったわ。彼女、とことん純粋に私を頼ってくれるの。私も、いつしか彼女が愛おしくて仕方がなくなった。そうね、できることなら彼女を独り占めしてしまいたい、そう思っているのかもしれない。いや、きっとそう」 言葉を繋ぎながら、射命丸は頭の中の断片がゆっくりと合わさっていくのを感じた。 「私は……、そろそろ普通のお友達になってあげないといけないのかもね」 視線を戻すと、はたては柔らかい笑みで射命丸を迎えていた。それを見ると射命丸はなんだか馬鹿馬鹿しくなって、椅子にだらりと体重を預けた。 「あーあ、はたてに慰められるなんて心外だなあ」 「何よその言い草。ま、いつでもはたて先輩を頼ってよね」 「調子に乗るな」 射命丸ははたてをギロリと睨み、それからすぐに顔を崩して笑った。 薄闇にあって紅魔館は射命丸の眼前に堂々と聳え立つ。射命丸は入念に呼吸を整え、正面から館へ立ち入った。玄関脇で雑巾を振り回していた妖精を呼びつけ、「メイド長を呼んでください」と頼む。そうして、透明な羽の生えたメイド服が走っていくのを見送ってから、射命丸は玄関の壁に凭れかかり、口元を締めて時間が過ぎるのを待った。 暫くすると、銀髪のメイドがすらりとした足取りで正面の階段を降りてきた。射命丸は張りつめた心の内を覚られまいと、飄々とした物腰で歩み寄った。 「何の用かしら」 「折り入ってお話があります」 「立ち話で済むかしら」 「いえ」 メイドはいかにも面倒そうに眉を顰(しか)め、それでも射命丸を近くの応接間に案内した。簡素な正方形の部屋には、丈の低い長机を挟むようにして手前には長椅子が、奥には緩衝材をふんだんにあしらった紅い椅子が二つ並べられている。射命丸は心得て長椅子に腰かけた。 「それで本題なのですが」 射命丸は努めて冷静に、正面の澄ましたメイドに視点を据えた。 「咲夜さん、これからフランさんが望むとき、彼女の散歩に付き合ってもらえないでしょうか」 メイドは一瞬瞳の奥を震わせたのち、目を伏せて何も答えない。漆塗りのテーブルにはいつの間にか紅茶が添えられていたので、射命丸は静かにそれを手に取った。上品な香りが湯気を伝って鼻を抜ける。射命丸はこの洋館に取り込まれてしまいそうな気がして飲むのをためらったが、それでも、その紅く透き通る液体を口元に寄せた。深みのある苦さが口の奥で広がる。 「昨日申し上げた通り、わたくし個人としては妹様の気持ちを大事にしてあげたいのですが……」 メイドはテーブルに視線を落としたまま、零すように言葉を重ねる。 「何しろ私はレミリアお嬢様に第一の忠誠を誓った故、お嬢様の意思を問わないまま独断を通すわけにはいきません」 「ではそのお嬢様に問い質しましょう」 射命丸は被せるように語気を強めた。メイドは膝元へ手を重ねて躊躇いがちに思案していたが、ふと射命丸に視線を合わせ、かと思うとしなやかに立ち上がり、「こちらへ」と部屋の外へ促した。 高下駄の裏が絨毯に柔らかく摩擦するのを感じながら、射命丸は一歩ずつ着実に階段を上っていく。そうして、最上階へ続く最後の階段を上ろうとした時、月を叩いたような音が控えめに鳴り響いた。時計塔の鐘だろうか。メイドは全く気にも留めない様子で階段を上りきり、射命丸を振り返ることも無く廊下を曲がって奥へ消えた。射命丸は、今さら慌てることも無いだろうと、努めて自分の呼吸で歩いた。 細い廊下を左へ曲がってさらに右へ曲がると、四隅に直接はめ込んだような両開きの扉が待ち構えていた。その脇には背を向けたメイドが佇んでいて、白い蝶々結びをあしらった濃紺の衣装が目に映る。射命丸が隣に並ぶとメイドは軽く目配せをして、扉を四度打った。芯の詰まった木の音が反響する。 「入って」 凛とした声が中から聞こえ、よく知っている相手ではあるものの、射命丸は自分の裾を密かに握り締めた。 「ではここで待っていてください」 メイドは射命丸を目で押しとどめ、適度に力の抜けた動作で扉をくぐった。扉が閉まる音と共に、廊下はひんやりとした静寂に包まれた。中で密やかなやりとりが行われているのだろうか、まるで誰もいないかのように物音がしない。扉に聞き耳を立ててみたくなったが、そんなことをして何のためになるのだと心の内で窘(たしな)める。すると却って気持ちが軽くなり、射命丸は今しがた通った廊下をぼんやりと見渡した。その時再び扉が開き、メイドが「どうぞ」と扉の横に並ぶ。射命丸は襟元を整え、滑らかな足運びをそれとなく意識して閾(しきい)を跨いだ。 「こんばんは、御機嫌麗しゅう。平素は『文々。新聞』をご愛読いただきありがとうございます」 ランプでうっすらと照らされた紅の大部屋、その中央には横長のテーブルがあり、周囲に際立つワインレッドの上等なクロスが掛けられている。そして、鋭く尖る黒縁の羽を広げた小さな少女が、テーブルの上に手を組んで射命丸を見据えていた。彼女の纏うドレスみたいな桜色が、部屋の紅さと相まって発光しているように見える。頭には、妹と同じナイトキャップを被っていた。 「私に挨拶もしないで館を歩き回っていたんですって?」 「おやおやそれはとんだ無礼を働いてしまいました。お許しください」 「まあいいわ。それより今日は何しに来たの? 咲夜は『用がある』としか教えてくれなかったわ」 眼前のレミリアお嬢様は若干の上目づかいで、見定めるように射命丸を眺める。 「単刀直入に言います。貴方の妹さんを、自由にさせてはどうでしょうか」 するとそれまで劇を観るように物腰柔らかだったレミリアの目つきが、俄かに棘を帯びた。射命丸は臆せず言葉を続ける。 「先日妹さんとお会いしました。彼女は誰に憚ることも無く出歩くことを熱望しています。彼女の望むままを叶えてあげてほしいのです」 「正気かしら」 「ええ正気ですとも。むしろ、あんな鬱屈した地下室に閉じ込めておく方が心に毒です」 「私はもうフランを幽閉していないわ。外へ出るとなると話は別だけど」 「彼女は貴方を恐れています。それゆえに今でも地下で暮らし続けているのです」 射命丸は、いつの間にか前のめりになって訴えかけていたことに気づき、一呼吸置いて背筋を正した。 「あくまで私の所感ですが、貴方の妹さんは、貴方の懸念しているような狂気をもはやどこにも隠し持っていません」 「何を根拠に。咲夜、これはどういうこと?」 レミリアは射命丸から目線を離し、入り口の方を覗き込む。メイドは未だ扉の近くで手を前に揃えていたが、察したのか、射命丸の隣へ歩み寄ってきた。 「僭越ながら私の見立てですと……、確かに、妹様は近年殆ど荒れることが無くなったように思います。そうですね、紅霧の一件からしばらく経った頃でしょうか、ご様子が変わり始めたのは」 メイドは向こうの壁を見ながら、記憶を辿るように答えていく。 「そう」 レミリアの表情に翳(かげ)りが生じたのを見て、ある見解が頭をよぎった。 「もしかして、貴方も既に気づいていたのではありませんか?」 実際に問うてみると、射命丸の中でそれは推測から確信へと変貌していった。レミリアは組んでいた手をほどくとテーブルに目を伏せて、そのまま押し黙ってしまった。メイドは射命丸の隣に立ったまま、じっと自分の足元を見つめている。改めて辺りを見ると、レミリアの後ろに据えられた棚や、テーブルの隅を飾る植物、壁際の柱時計など、全てが調和して紅の異空間を一つの部屋たらしめている。 「私は別に、フランを縛り付けたいわけではないわ」 レミリアは俯いたまま、独り言のように語り始めた。 「ただ、何でも簡単に壊してしまうような、あんな危ない力を持っているのだから、何か起こってからでは遅いのよ。もちろん私も嫌だし、何より、一番不幸になるのはフランだから」 彼女の袖にぐっと力がこもった。 「この館で何の苦労も知らず暮らすのが、フランにとって一番幸せなことだと信じていたわ。貴方たちに言われた今でもそう思っている。けれども……、もう軟禁なんて時代遅れなのかもね。貴方の言う通り、薄々気が付いていたけれど目を背けていたわ」 いつしかレミリアの声には若干の震えが混じっていた。自分でもそれが気になったのか、一つ咳払いをして、射命丸たちを見上げた。揺るぎの無いその表情は主としての荘厳さを充分に携えていた。 「すぐには何も言えないけれど……、いい返事を期待して頂戴。咲夜、フランのことをよろしく頼むわ」 「畏まりました」 メイドが深々とお辞儀する。射命丸はいっぺんに肩の荷が下りたような気になって、対面する主従の姿をカメラに収めたくなった。 「では後日、改めて貴方の下に伺います。新聞配達の際に」 「ええ。鬼は嘘を言わないものよ」 「貴方は吸血鬼でしょう」 去り際に射命丸は裾を正し、メイドに倣って厳粛に礼を送った。 気勢を削がないうちにと、射命丸はその足で地下へ赴いた。相変わらず明かりの乏しい通路だが、全体が暗いこの館に長く滞在しているおかげで、石畳の切れ目もある程度は視認することができる。 蝋燭に灯された鉄の扉が、射命丸の影をぼんやりと映し出す。射命丸は表面に手を添えて、拍を打つようにゆっくりと三度叩いた。 「文、待っていたわ」 扉が開くや否や、飛び出したフランが射命丸の両手を取って部屋へ引っ張ろうとする。 「まあまあそんなに慌てなくても、私は逃げませんよ」 射命丸はフランの手をやんわりとほどき、フランの先導に続いて扉をくぐった。フランはぱたぱたと七色の羽を揺らし、我先にと席へ座る。テーブルには湯気の立つ紅茶が二つ置かれていた。 「これは?」 「さっき咲夜が持ってきたのよ。『もうすぐお客様が来ますから』って」 「さっき……、へえ」 喉が渇いていたので、射命丸はすぐさま紅茶に手を付けた。応接間で貰ったものとは違い、濃厚な甘い香りが口の中で溶けていく。射命丸は意を決して、絵画のようにカップを持つフランを見据えた。 「フラン。貴方に言っておかなければならないことがあります」 フランは紅茶を置き、張りつめた表情で射命丸を見上げる。 「貴方もよく判っている通り、私はこの館の住人ではありません。だから、私が今の貴方にしてあげられることはもう無くなりました」 心のどこかで感づいていたのだろう、フランは態度を乱すことも無く、じっと射命丸を見つめている。 「フラン、貴方には少しずつ外の世界に慣れていってほしい。そうすればいつかは、誰に何の迷惑をかけることも無く、自由に暮らしていけるはずです」 「でも、貴方がいないと私はここから出られない」 「大丈夫」 自分でも意識しないうちに、射命丸はフランの小さな手を握った。すらりと伸びる指先はひんやりと湿っていた。 「貴方のお姉さんも、メイド長も、門番や妖精、図書館の魔法使いとか、みんな、貴方の味方をしてくれますよ」 「嘘」 「果たしてそうでしょうか」 射命丸は席を離れ、俯き気味のフランに寄り添った。 「近いうちに判ります。天狗だって無粋な嘘はつきません。それに」 フランの手を握ったまま、射命丸は上体を部屋の入口へ捻った。 「メイド長、そこにいるんでしょう?」 少しの間を置いて、重厚な扉が慎ましげな軋みを零して開く。灯りの疎らな地下において際立って純白なメイドが、二人の前にはっきりと姿を現した。 「咲夜」 「フランお嬢様。ご用があれば何でもわたくしにお申し付けください」 「だそうですよ。きっと散歩にも連れて行ってくれるでしょう」 射命丸は、目を見開くフランとやや緊張した佇まいのメイドを交互に見た。同じ館で暮らしているからだろう、両者の間には確かに共通の呼吸が感じられた。 「では部外者の私はこの辺で」 「ちょっと待って」 無理して立ち上がったところを即座に呼び止められ、射命丸は心の中で「やはり」と安堵した。射命丸を仰ぐ少女は星のような眼差しを浮かべている。射命丸は、再び膝を曲げてフランに高さを合わせた。 「文。貴方のおかげで私の暮らしはこんなにも変わってしまったわ。貴方がいなかったら、私は明日もここで変わり映えの無い一日を過ごしていたのよ」 「いいえ、私は最後の一押しをしたに過ぎません。ここに至ったのはフラン、貴方の思いが通じたからですよ」 「すぐそんなことを言うんだから。文、貴方はやっぱり夢で見た白い人だったわ。けれども、私から去るところまで真似しなくてもいいのに」 「またすぐに会えますよ。貴方が外に向き合うのなら、必ず」 勇気づけるようにフランの肩を優しく叩く。 「絶対だからね。本当に、貴方に逢えてよかった」 「私こそ、貴方と過ごしたこの数日はとても刺激的でした」 尚もすがろうとするフランに対し、射命丸は頭を撫でてじんわりと宥める。そうして幾分か落ち着いたところを、射命丸はメイドに目配せをして後を任せた。紅と白が互いに肩を寄せる姿を見ると射命丸はすっかり安心した心持ちになって、緩やかに息を吐いた。 「では、また外でお会いしましょう」 七 「深窓の令嬢、外の世界に触れる」 かねてより存在をうわさされていたレミリア・スカーレット嬢の妹、フランドール・スカーレットが初めて館の外に姿を現した。五百余年の半生を経てようやく念願がかなう。夜の湖へ足を運んだ彼女は、湖やありふれた植物など、目につくもの全てに多大なる興味を示した。自己の力もほぼ完全に制御できているようで、「これからも外で遊びたいし、いろいろな人妖に出会いたい」と意欲を見せる。(文責:射命丸文) (写真:月を背景に舞い上がるフランドール・スカーレット) おわり