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ミスティアと盗まれたヤツメウナギ


 夕暮れ時、ミスティアは愕然とした。ほんの少し前まで川のほとりに置いてあったはずのヤツメウナギが、跡形も無く消えているのである。
 ミスティアは急いで周囲の捜索を始めたが、ヤツメウナギを入れた魚籠(びく)も、犯人も、何も見つからなかった。

 川に戻ってぼんやり星を眺めていると、空に赤黒い裂け目ができて、そこから誰かがにゅっと覗き込んだ。いつだったか、ミスティアをコケにしたスキマ妖怪である。
「お困りかしら?」
 その妖怪はスキマから上半身を乗り出し、ミスティアに顔を近づけてにっこりと尋ねた。乾いた草花のような香りが仄かに漂う。
「今は遊ぶ気分じゃないわ」
 すっかり心が疲弊していたミスティアはそっけない返事をした。
「あら。せっかく探すのを手伝ってあげようかと思ったのに」
 スキマ妖怪は笑顔のまま言葉を重ねる。ミスティアは仰天して目を見開いた。
「本当?」
「本当よ」
 ミスティアには、柔らかい笑みを浮かべるスキマ妖怪が眩しく見えた。その様子を読み取ってか、スキマ妖怪は右手の人差し指を立てて
「それじゃあ決まりね。お礼は何かしら」
と続けた。ふわふわと浮き足立っていたミスティアの気持ちが、途端に現実に引き戻された。“お礼”に些かの違和感を持たずには居られなかった。
 だがとりあえず、そういうものなのかと納得して言葉を返した。
「わかったわ。もし見つけられたらヤツメウナギを一匹あげるわ」
 ミスティアの返答を聞いて、妖怪の口の端がニッと吊り上がった。

「探してくるわ」と言い残して消えた妖怪を待っていると、ほどなくして再びスキマが空間を裂いた。
「見つけたわ。このスキマをくぐってちょうだい」
 妖怪はそう告げると自分の隣に、ミスティアの背丈ぐらいある縦長スキマを作り出した。
 ミスティアはそれを注視する。スキマの奥では、無限の眼がミスティアを見つめるだけである。
 ミスティアは訝しんでスキマ妖怪を見るが、彼女がそれっきり何も言わないので、観念してスキマに足を踏み入れた。

 気が付くとミスティアは見知らぬ地面に立っていた。
 まず月明かりに照らされた黄色の土が目に入り、周囲を覆うようにして純和風の木造建築があることに気付いた。周囲を見渡すと、大きく手を広げた木々がまばらに立ち、深緑の草や色を失ったような石が散りばめられている。どこかの庭園だろうか。
 よく見ると、少し離れたところの縁側で何者かが腰を掛けていた。何かを持っているようにも見えた。
 ミスティアはちょいと近づいて、そして安易に接近したことを後悔した。箸を使って生のウナギをまるまる喰らっている、西行寺幽々子その人である。
 突然の遭遇にミスティアはどきりとした。しかも幽々子がミスティアを発見したものだから、ミスティアは驚き慌てふためいた。
「助けて! 助けて!」
 庭の中を駆け回りながら、覚えたてのインコのように何度も“助けて”の叫びを繰り返した。程無くしてスキマ妖怪が斜め上空に現れた。
「お礼は?」
 妖怪は変わらない笑顔でミスティアに尋ねる。ミスティアはなりふり構わず答えた。
「全部よ。あいつが持っているヤツメウナギ全部あげるわ! だから私を助けて!」
 スキマ妖怪の口角が急上昇した。

 ミスティアはスキマに飛び込み、何とか川の岸辺に生還することができた。足元を確認してから、へなへなと地面に座り込む。
「じゃあ、これは頂いていくわね」
 突如、見覚えのある魚籠がミスティアの目の前に突き出された。坐したままのミスティアがその魚籠を覗き込むと、ヤツメウナギが捕まえたままの状態で揃っていた。
 不意打ちに言葉を失ったミスティアは考えを巡らせ、そして一つの結論に繋がった。騙されていたの?
「ありがとう、かわいい夜雀さん」
 そう言って姿をくらまそうとしたスキマ妖怪は、意図的に通りがかった巫女の直撃を食らってスキマから転げ落ちた。

「妖夢、ウナギが足りないわ」
「また人里から買ってこいと仰るのですか」

  おわり


『ウシ飼と盗まれたウシ』より