静葉姫の終焉と開闢
つい最近あるところに、姉妹の神様がいました。姉の神様は大地をいっぱいに吸い上げた紅葉が大好きで、その妹は芋や葡萄を好みました。 姉の名は静葉と言いました。静葉は妹を羨みました。妹は秋の実りをもたらすので、人間たちに喜ばれます。 ある秋の日、私も、と思った静葉は人里を訪れました。 「私は秋の神様。貴方たちが望むなら、秋に関する願いを叶えてあげるわ」 人々は収穫のお仕事に夢中で、静葉に全く気づきません。 「ねえ! 秋の神様なのよ!」 静葉が声を張り上げると、畑の人々は一斉に静葉の方を振り向きました。突然降り注いだ無数の視線に、静葉は思わず言葉を失いました。誰も彼も何も言わず、静葉は絶壁に一人残されたような気持ちになりました。金色の田んぼを揺らす風が、静葉の頬を撫でました。 不意に、畑の誰かがぽつりと洩らしました。 「なんだ、秋を終わらせる神様じゃないか。さあ、作業を続けよう」 それきり、誰も静葉に構いませんでした。 濁り切った空の下、静葉は当ても無く歩き回りました。 次第に、周囲が深い霧に覆われはじめました。自分の靴もよく見えません。前もよくわかりません。 その時、静葉の踏み出した右足がずるりと横へ滑り落ちました。段差になっていたようで、反応の遅れた静葉は右に傾きました。静葉は両腕をぐっと縮め、目を閉じて地面の衝撃に備えました。けれども思ったような感触は無く、ぴちゃりと冷たいものが静葉の腰に当たりました。水だ、と思った次の瞬間、静葉の全身が落っこちました。 静葉は、落ち葉みたいにして水面に浮き上がりました。周囲を目でぐるりと見回すと、どこも霧ばかりです。静葉は、このまま自分も白い世界に取り込まれそうな錯覚を受けました。少し怖くて、少し安堵しました。 「ちょっとー、聞こえているのー?」 ふと、霧の向こうから甲高い呼び声が響いてきました。目を凝らすと、大人と子供のような人影がぼんやりと見えます。大人は、子供の頭上を覆うように傘を差しているようです。子供は大きく手を振って静葉を呼んでいます。静葉は水に浮いたまま、風に任せて二人の下へ近づきました。 「何か用かしら」 「ええ。湖に真っ赤な紅葉(もみじ)が浮いていて綺麗だなと思ったら、人間なんですもの」 「私は神様よ」 静葉を呼んでいた子供は、寝間着ともドレスとも取れるような桃色の上下をふわりと纏っていました。子供は、静葉の顔を熱心に覗き込みます。 「神様? だったらどんな芸を見せてくれるのかしら」 「神様はそういう職業でないのよ。でもそうね、草木を今風に彩るぐらいはできるわ」 「へえ!」 子供はぐいと後ろを振り返り、傘を片手に佇んでいた大人を見上げました。 「この子を連れて帰るわよ」 大人に掬い上げられた静葉は、お城のような邸宅の前庭に案内されました。 「さ、木々に色を付けて頂戴」 疎らに生える木のどれもが、青々とした葉を付けていました。 「かわいそうに。ここの植物たちは、日当たりが悪いから秋に気づかないのね」 静葉は宙に浮いて木の枝に近寄ると、懐から筆を取り出しました。慣れた手つきで葉の一枚一枚を塗っていきます。その間、かの二人は屋上へ上り、紅茶を片手に静葉を眺めていました。 時計台の長針が一周もしないうちに、静葉は作業を終えて屋上へ飛び込みました。 「さあ、庭を見下ろしてちょうだい」 二人が縁(へり)の向こうを覗き込みます。それに合わせて静葉も庭を見下ろしつつ、二人を横目で見ます。子供は目に星を浮かべていました。 「へえ。まるで山の景色みたい。きっと、元がいいからだわ」 「そうですね」 二人の喜ぶ様子が眩しくて、静葉は夢中になってその横顔を見つめました。それから、二人の気づかないうちに、静葉はそっと霧を抜け出しました。 おわり 『小カラスと渡りカラス』より