貴方と私で時間の取り合い
竹に囲まれた空間は、満月の光も十分に届かない。咲夜は、兎狩りをしたいと言うレミリアに随行していた。茂みを走る白い兎にレミリアはいち早く回り込み、透き通る両手を地面に降ろしてそっと捕える。咲夜は屈み込んでレミリアの横に並んだ。掌に乗った兎は口をもごもごさせながら、レミリアをじっと見上げる。レミリアは懐から台紙を取り出し、紅くて丸いシールを一つ剥がした。レミリアの指先をちょうど覆い隠すようなそのシールは、白く細い字で“R”と書かれている。レミリアはシールの付いた指を兎の額(ひたい)に寄せて、もう片方の手でふわふわの毛をかき上げて、丁寧に貼り付けた。 「レッドマジック。貴方は今日から私の眷属よ」 シールがしっかりおでこに貼り付いたのを確かめると、レミリアは兎をそっと放した。兎は一目散に竹林の闇へ消えていった。 「楽しいですか? お嬢様」 「ええ、とっても楽しいわ」 兎たちと戯れるレミリアを、咲夜は穏やかな眼差しで見つめた。 「何をしているのかしら」 ふと、暗がりの向こうから凛とした声が響き、咲夜は即座にナイフを構えた。一瞬の沈黙ののち、桜色の上衣を纏う少女が徐々に輪郭を帯びて近づいてきた。レミリアは抱きしめていた三匹目の兎を降ろし、両手で帽子を整えて少女に正対した。 「兎狩りよ。見て判らないの」 「兎狩りですって!? イナバたちが可哀そうだわ」 「貴方の言うイナバじゃなくて、ただの兎を相手にしているんだけど」 「イナバの友はイナバなのよ。ともかく、そんな野蛮なことはさせない」 互いが互いを睨み合い、傍目に見ても一触即発の熱を帯び始めた。咲夜は思い立ち、二人の間に割って入った。 「ここは私が対処します。お嬢様はあちらで触れ合いを、いえ、遊猟の続きをなさってください」 「どうして?」 「以前から、あの者とは決着をつけたいと思っていましたので」 咲夜はレミリアに振り返り、紅い瞳を一心に見つめた。レミリアは小さく頷き、咲夜の腰をポンと叩いた。 「任せたわ」 「させない」 突然、咲夜の周囲が竹を割ったみたいに照らされた。振り返ると、七色の弾が無数にこちらへ迫っている。咲夜はちらりと背後を見てレミリアがいなくなっているのを確かめてから、地面を斜めに蹴り、遥か天空へと舞い上がった。咲夜を捉え損ねた弾の群れが、竹林の一角を虹色に染め上げる。 「このまま殺人鬼を野放しにはできない。手早く貴方を退けて、一刻も早く本命を討つ」 気が付くと、桜色の少女も咲夜と同じ高さまで飛び上がっていた。傘のような深紅のスカートが強風にはためく。 「貴方は大きな誤解をしているようね。一つはお嬢様、もう一つは私に対して」 言うが早いか、咲夜は懐からありったけのナイフをばら撒いた。対する少女は流れるように優雅な動きでナイフをすり抜けていく。 「これからよ」 咲夜は前掛けに手を突っ込み、ひんやり固い懐中時計を取り出すと強く握り締めた。俄かに世界が灰色に染まり、風も、ナイフも、少女もピタリと停止する。咲夜は急いで少女の後方へ飛び込み、散らばったナイフに手を伸ばした。だが柄(え)を掴もうとした瞬間、ナイフは瞬いたかのように消え失せた。辺りを見回すと、あれほど好き勝手に散っていたナイフたちがどこにも見当たらない。 氷を踏んだような音と共に、空の頂点が黒く色づいた。そこから滝が落ちるようにして周囲が色を取り戻す。それと同時に、ナイフが何の前触れも無く咲夜の眼前に現れた。満月に照らされた刃先が銀色に輝く。足元や頭の上に目を遣る。咲夜はナイフに取り囲まれていた。 咲夜はだらりと肩の力を抜いた。ナイフが折り重なった景色の向こうで、少女が袖を口元に添えて咲夜を見据えている。 「私の勝ちね、ナイフ取りゲーム」 咲夜は眉間を指先で押さえた。 「なんてこと、私の武器に引き裂かれなければならないなんて」 おわり 『カシの木と樵』より