前門のヒト、後門の幽々子
天狗の新聞で鶏肉料理の特集が組まれた翌日、人里に来たミスティアは周囲から粘着質な視線を浴びていることに気づいた。それでも無視して息の詰まる散歩を続ける。 「動くな!」 すると、何者かの叫び声がミスティアの背中に突き刺さった。振り返ると、桃色の和装を着た至って普通の人間が、火縄銃を窮屈そうに構えてこちらを睨んでいる。 「それで妖怪退治のつもり?」 ミスティアは冷ややかな目線を送る。その時、その者の口から唾液を啜る音が聞こえてきた。 ミスティアは人里を飛び出した。 ミスティアは木々に身を隠しながら駆け足で逃げ続け、なんとか竹林まで辿りついた。竹の隙間を抜ける風は澄んでいて、心なしか鳥の鳴き声がいつもより多く聞こえる。 日光の少し届く竹林の浅いところを進んでいると、盛り上がった土の影からふんわり兎耳の少女が顔を出した。ミスティアはすぐさま兎耳を呼び止めた。 「丁度いいところに。人間に見つからない、安全な場所を知らない?」 問いかけに対し、兎耳はまっすぐ天を指差した。 兎耳の助言に従って、ミスティアは弾丸のような勢いで雲を突き抜けていく。雲が途切れてもなお上昇を続ける。そうしている内に、ミスティアを取り囲む空はどんより暗い葡萄色に変わっていた。その時になって初めて、ミスティアは燃料が切れたように動きを止め、眼下の土に降り立った。 「ここまでくれば大丈夫かな」 「あら?」 斜め後ろから不意に呼び掛けられ、ミスティアの背中に寒気が立ち上った。青空色の着物を纏う背の高い女性が、口元を扇子で覆ってミスティアを窺っている。 「あの、人間に追われているんです。暫く冥界(ここ)で匿ってくれませんか」 揺らめくように立つ女性を前にして、ミスティアは妙な心拍数の急上昇を感じた。だが構わず助けを求める。女性はにっこりと微笑み、頷いた。 「ええ。ここに似つかわしい具合にしてあげるわ」 おわり 『牝ジカとライオン』より