取らぬ小傘の皮算用
胸の端に木屑が引っかかったような気がして落ち着かない最中、小傘は道端に大きな赤い石のようなものを見つけた。近づいてみるとそれは顔を象ったもので、眉間をこれでもかというほど顰(しか)めた睨みが小傘を突き刺した。小傘は即座に目線を逸らし、青空を眺めて一度呼吸を整えてから、改めてその物体をまじまじと見下ろした。顔の真ん中に拳のような団子鼻を付け、口からは猛々しく歯を見せ、目の上に寄った皺は角のように突き出ている。仄かに赤い顔面はところどころ黒ずんでいる。手に取ってみると意外と軽い。裏側は空洞で、黒色の窪みが斜めに幾つも通っている。小傘の顔をちょうど覆い隠すほどのそれは、明らかにお面であるが、縁日に並ぶような慣れ親しんだものとは似ても似つかない。手の甲で軽くつついてみると、乾いた音が小さく響いた。 小傘は最初、気味悪がってそれを放置しようとした。だが暫く観察していると、次第にお面を握る手に力が入っていった。 被りたい。 この面をつけて驚かそう。そうしたらたくさんの人が驚いてくれるだろう。それで莫大な霊力を集めたら、きっと大妖怪にもなれる。 小傘は溢れそうになる笑みをぐっと呑み込み、唐傘の中にお面をそっと仕舞った。 “狩場”へ向かうため、小傘は人里を横切っていた。通りを抜ける風はさらりと素っ気ない。 「早く出せ!」 そのとき突然、道の向こうの店先から怒声が響き渡った。何事かと小傘は興味本位で駆け寄る。小傘が店に着く寸前のところで、両手に箱を抱えた三人の大人が軒先から飛び出し、瞬く間に里の外へと駆けていった。後を追うようにして、青い前掛けをつけた人間が現れる。店主だろう。店主は遠く小さくなった人影を追うこともなく、ぼんやりと立ち尽くした。小傘は背後から、店主の顔をそっと覗き込んだ。その表情は平べったい虚脱感に満たされていた。かわいそうにと小傘が声を掛けようとしたところ、店主が乾いた声で呟いた。 「あっちゃー。まあいっか」 小傘は出かかった言葉を喉に詰まらせたまま、だらしなく口を開いた。店主はそのまま、あっさりと店へ戻っていった。 小傘は命蓮寺裏の墓地へ辿りついた。辺りに茂る木々はすっかり葉を落とし、寒々しい茶色を晴天に晒している。小傘にとって懸案の、ぎこちなく飛び跳ねる変なやつはどこにも見当たらない。小傘は大きめの墓石に身を隠し、真昼間から通行人を待ち構え始めた。 地面を這い回る蟻たちを眺めながらじっとしていると、遠くから土の擦れる音が聞こえてきた。息を潜め、近づく者の気配を窺う。ざらざらした足音が、だんだんと迫ってきた。一歩一歩の響きが、小傘の耳を鋭くくすぐる。そうしているうちに、ついに墓石の真横を通りかかった。小傘は膝を伸ばして飛び上がった。 「わー! 悪い子ー!」 小傘の声が墓地に響き渡る。それきり、悲鳴も何も聞こえてこない。小傘の背中に嫌な汗が伝う。小傘はお面を外した。クラゲのような長髪を靡かせる少女が、小傘の瞳をじっと見つめていた。少女の周囲には数えきれないほどのお面がぐるぐると漂っている。 「返して」 「え?」 少女の指はまっすぐに、小傘が持つ赤のお面を差した。 「これ貴方の? いや、そうは言っても、まだ一人も驚かせていないし」 「返して」 語気の強まった少女の押しに、小傘は息を呑んだ。 「はい」 小傘が観念してお面を両手で差し出すと、少女は眉一つ動かすことなくそれを受け取り、それきり小傘に目線を合わせることなく上空へ飛び去った。消えていく桃色の雪洞(ぼんぼり)型スカートを見つめながら、小傘はだらりと肩を落とした。 地面に生える雑草を眺めながら、小傘はとぼとぼと人里へ戻ってきた。大妖怪への近道は閉ざされてしまった。それどころか、今日の“ご飯”さえも危うい。 淋しげなお腹をさすっていると、向こうの方から何やら喧騒が聞こえてきた。顔を上げると、道の真ん中に人だかりができている。小傘は重い足取りのまま近づき、ぐいと中を覗き込んだ。三人組の人間が、黒の上下に鉢巻を付けた人間たちに取り押さえられ、あっという間に縄で縛られていく。その脇では前掛けの店主が何やら怒鳴りつけている。 なんとなく胸のつかえが取れた気がした小傘は、頬を緩ませて人里を後にした。 おわり 『乳搾りの女と、彼女の桶』より