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零か一か


 一匹の地獄鴉は、もはやちっぽけな鳥類ではなくなっていた。体の芯から迸(ほとばし)る熱を感じる。
 灰と砂ばかりが堆積する暗い暗い辺境にて、鍵穴状の大きな影が顔を寄せた。
「よいか。今の貴方には世界を壊す力がある。
 常に自分を戒めよ。力の全てを解放してはならない。さもなくば、己が身も滅ぼすだろう」
 鍵穴が語っている間、地獄鴉の背丈はその者に比肩するほど大きくなっていった。
「ま、適当にがんばってよ。応援するからさ」
 鍵穴の横から楕円形の顔が飛び出した。地獄鴉は、口を結んで深くお辞儀をした。

  *

 深紅に染まった地獄の中心にて、うつほは、炎にもまして真っ赤な装束を纏う少女を迎え撃った。うつほは自身の何倍も大きい火球を絶え間なく放つが、少女はわずかな間隙を紙飛行機のようにすり抜け、着実にうつほの下へ迫る。次の一撃で決めなければ、間違いなくこの鬼のような人間にやられてしまう。さらば、地上に地獄を作る夢は二度と叶わない。お燐、さとり様。うつほは静かに、熱く滾(たぎ)る気力を逆流させ始めた。
 だが、力が指先にまで達するかというところで、自分に力を与えてくれた鍵穴たちが鮮明な影を以て頭に浮かび、瞬く間にうつほの思考を覆った。「力を解放してはならない」。鍵穴の忠告が何度も耳の奥に響く。少女はなおも迫り来る。うつほは、寸前のところで腕をゆっくりと降ろし、ひっそりと目を瞑った。
 直後、うつほの全身に夥しい針が刺さる。少女が手首を軽く内側に曲げる。同時に、刺さった針が一斉に爆発した。羽に強い衝撃を受けて飛ぶ力を奪われたうつほは、地獄の底へ真っ逆さまのさなか、遥か天井で腕を組む少女を見上げて呟いた。
「なんだ。どっちにしてもやられちゃうんだ」
 落下の風にあてられて涼しい顔になったうつほはそのまま、燃え盛る炎の中へと吸い込まれていった。

  おわり


『ミツバチとジュピター神』より